「貧乏でも『サル』といじめられても」インド人ダンサー・ニラさんが「自分のこと、大好き」と語る理由

 「貧乏でも『サル』といじめられても」インド人ダンサー・ニラさんが「自分のこと、大好き」と語る理由
中谷秋絵 あぬ
中谷秋絵
2023-05-13

インド研究家でライターの中谷秋絵さんによる連載「インドに学ぶ人生ハック」。今回は、かつて日本のバラエティ番組でも活躍していたインド人ダンサー・ニラさんにインタビューしました。

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「私は自分のことが大好き。自分が好きじゃないと人のことも好きになれないじゃない!」とニコニコ顔で語るのは、日本在住のインド人ダンサー・ニラさんです。

インドの都市チェンナイの貧しい家庭に生まれたニラさんは、学校にもほとんど通えませんでした。それでも、小さい頃からダンスの才能を見いだされ、映画のバックダンサーやアシスタントとして活躍。23年前、日本のテレビ番組に出演することをきっかけに来日し、現在は日本でボリウッドダンス(インド映画の中で踊られているダンス)を教えています。

厳しい環境にも負けずに夢を実現してきたニラさんに、その明るいマインドとその人生を形づくってきたものについて伺いました。

ダンスの才能を見いだされて

ーーダンスはいつ頃から、どんなきっかけで始めたんですか?

ニラさん:ダンスは5歳から始めました。学校へ行く途中にダンススタジオがあって、帰り道に毎日中を覗いていたら、そこの先生から「ちょっと踊って見せて」と言われて踊ったんです。そしたら「あなたは絶対にダンスをやった方がいい」と言われて、すぐにお母さんに報告しました。

でも、うちは貧しい母子家庭で、兄3人はみんな学校へ行かずに外で働いていました。そんな状況だったので「ダンスを習うお金なんてないでしょ!」と怒られたんです。スタジオの前を通らずに、遠回りして学校へ行きなさいと言われましたよ。

ーーレッスン代や衣装代など、ダンスを習うとなるとなにかとお金がかかりますよね。

ニラさん:そうなんです。でもその後、先生がうちに来て「この子には絶対ダンスをやらせた方がいい。お金はいらないから教室に通わせてください」と言ってくれて。それで、私は一切お金を払わずにダンスを習えたんです。ボリウッドダンスだけではなく、ヒップホップや南インド古典舞踊のバラタナティヤムなど様々なダンスを学びました。ダンスが楽しすぎて、結局途中から学校にも行かなくなってしまって、毎日朝から晩まで踊るような日々でした。

赤丸が幼少期のニラさん(ニラさん提供)
幼少期のニラさん(ニラさん提供)

ーーすごい!ダンスの才能を見いだされたんですね。それで、インド映画にも出演していたんですか?

ニラさん:はい、インドでは映画のバックダンサーになるためには免許が必要なのですが、通常18歳から取れるところを、私は15歳で取得しました。オーディションでは500人の中から13人だけが選ばれ、私は1位だったんですよ。

それで、映画のバックダンサーや監督のアシスタントとして仕事をしていたんです。ダンスの仕事で稼いで、インドで家を買うこともできました。

「日本人はみんな侍」だと思っていた

ーーインドの映画産業の中で働いていて、日本に来るきっかけはなんだったのでしょうか?

ニラさん:アシスタントをしていたときに、ウッチャンナンチャンのナンチャン(南原清隆)が「日本でインド風の映画を撮りたい」と、インドに来たんです。それで映画を撮るために声がかかり、日本に来ました。22歳のときです。結局、映画を撮るだけではなく、テレビ番組にも2年ほど出演しました。

その後は、友人のスタジオでダンスを教えるために、福岡に10年住み、現在は東京で暮らしています。日本でずっとインドのダンスを教え続けているんですよ。

ニラさん
ダンスの衣装に身を包むニラさん(ニラさん提供)

ーーはじめて日本に来たときの印象はどうでしたか?

ニラさん:当時はインターネットもほとんどなくて、私は「日本人はみんな侍で、刀を持っている」と本当に思っていたんです。でも空港に着いて、誰も刀を持っていなかったからびっくりしました(笑)

ーーそれは驚きますね(笑)最初は日本語もわからなくて、日本の生活は大変だったのではないでしょうか?

ニラさん:最初、日本語学校に3か月だけ通ったんですが、先生は英語から日本語にして教えるんですよ。私は学校に行ってないので、英語もわかりません。happyは「幸せ」、sadは「悲しい」と教わるんですが、それがもう私にはわからない。だから学校ではなく、人と話す中で覚えていきました。あとは、とにかくテレビや映画を見て覚えましたね。

ーー日本に20年以上住んで、日本とインドで違うのはどんなところだと感じますか?

ニラさん:インドではとにかく家族を大事にします。私は今も週に3回くらいは母や兄たちと電話しますが、日本人に聞くと何か月、何年も連絡を取っていない人が多くて驚きますね。

また、インドでは家族だけではなく、周りの人同士で助け合うのが当たり前の環境でした。たとえば、私は母も兄も外で働いていたので、6歳くらいから家族の料理を作るのは私の役目でした。でも、小さかったのでできないこともあって、そんなときは近所の人が手伝ってくれることもありましたよ。

ニラさんの家族(ニラさん提供)
ニラさんの家族(ニラさん提供)

ニラさん:日本では、隣に住んでいる人の顔を知らないという人も多いのではないでしょうか。でも最近はインドも変わってきていて、だんだんそういう環境が増えてきたようにも思います。やっぱりインターネットやスマホが普及したことで、インドも変わってきていますね。

自分で自分を褒めて、愛する

ーーインドの人は自己肯定感が高いというか、自分が大好きな人が多いように思いますが、ニラさんはいかがですか?

ニラさん:私は自分のことが大好きだよ!めちゃくちゃカッコいいと思ってる(笑)部屋には180センチくらいの自分のポスターを貼っていますよ。

ーーそれはすごいですね(笑)なぜそんなに自分のことを好きだと思えるのでしょうか?なにかきっかけはありましたか?

ニラさん:私は肌が黒くて背も低く、服もいつも汚れていたので、周りの子から「サル」と言われて散々いじめられました。そんなときに考えたんです。周りの人がなんと言おうと、自分が自分のことを好きになればいい。周りは関係ない、と。

みんなからひどいことばかり言われたので、自分で自分を愛するしかないと思ったんです。周りが私のことを「サル」と言っても「私にはダンスがあるじゃないか」と思って、一生懸命ダンスに打ち込みました。

ダンスの衣装に身を包むニラさん(ニラさん提供)
パフォーマンスの様子(ニラさん提供)

ーーニラさんにはダンスがあったから、周りからなにを言われても乗り越えられたんですね。

ニラさん:そうです。私は学校にも行ってないし、勉強はできなかったけど、ダンスがありました。自分の苦手なことをがんばるよりも、少しでも得意なものがあれば、それを一生懸命やればいいと思います。それで自分で自分を褒めてあげればいいんです。

自分のことが好きじゃないと、他人のことも好きになれないと私は思っています。私は今も時々「サンキュー!ニラ!」と自分で自分に言っていますよ。ぜひやってみてください。

ーー自分で自分を褒める、感謝する、というのはいい方法ですね。最後に、ニラさんの今後の目標を教えてください。

ニラさん:日本でもっと多くの人にボリウッドダンスを知ってほしいと思います。今は映画『RRR』がすごく流行って、インド映画と踊りが前より知られるようになったけれど、これがもっと持続していくといいなと思います。そしていつか大きなボリウッドダンスのグループを作って活動したいですね。

【プロフィール】ニラさん

ニラさん

ボリウッドダンス/バラタナティヤム・ダンサー&振付師
インド南部の都市チェンナイ出身。5歳から子役・バックダンサーとしてインド映画に出演。5歳から22歳までの間に500もの映画に出演した。2000年に、テレビ番組「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」出演のために来日。その後は、テレビ出演やダンスの振り付け、ダンス講師として活躍。福岡で10年活動した後、現在は東京にてダンス活動を続けている。Instagramアカウント:@neela.0003

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中谷秋絵 あぬ

中谷秋絵

インド研究家×ライター。自己肯定感激低の状態でインドに渡航し、インドの人々の温かさ寛容さで救われる。インド滞在経験2年、現地の日系旅行会社に勤めた経験あり。現在はフリーライターとしてインタビューを中心に活動中。電子書籍『どんなに自己肯定感が低くても生きやすくなるすごいインド思考術』でAmazonランキング1位・ベストセラーを達成。ダンサーとしてインドのボリウッドダンスも踊っている。



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赤丸が幼少期のニラさん(ニラさん提供)
ニラさん
ニラさんの家族(ニラさん提供)
ダンスの衣装に身を包むニラさん(ニラさん提供)
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