【摂食障害克服の鍵】「痩せたい」「食べるのが怖い」でも「治ることも怖い」から抜け出すために

 【摂食障害克服の鍵】「痩せたい」「食べるのが怖い」でも「治ることも怖い」から抜け出すために
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「摂食障害」という言葉は聞いたことがある人もいるでしょう。けれど、自分とは全く関係がないことだと思っていませんか?例えば、何かを食べるたびに「今、何キロカロリー摂取したんだろう」「こんなの食べたら太るに決まってる…」そんな考えに支配され、摂食障害に至るケースもあります。摂食障害は誰にとっても身近にあるものです。摂食障害相談室を運営するカウンセラーのあかねさんによる連載コラムでは、決して縁遠いものではない「摂食障害」についてお伝えします。

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太ってでも治す覚悟

「摂食障害を治したい」と思うのであれば、まずは「太ってもいいから治したい」と思えるかどうか自分に聞いてみましょう。「ダイエット前の体重以上になるかもしれないけど、病気の苦しみから解放されたい」と思えたあなたは、もう克服までの大きな一歩を踏み出しています。

しかし、当事者のみなさんは「体重を増やさないまま病気を治したい」と口を揃えて言います。うんうん、その気持ちはとてもわかります。美しい姿でいたい気持ちもわかりますし、「痩せている方がいい」という世間の風潮があるので、そう思うのはごく自然なことでしょう。しかし、摂食障害克服のゴールは「痩せた体に執着しなくなること」だとすると、高く理想の体型を掲げている限り、ダイエット依存から抜け出せず、病気とおさらばできません。

摂食障害が治る方と治らない方の決定的な違いは、「克服する覚悟=痩せたい気持ちを手放す覚悟」にあると思います。「覚悟」という言葉を使うのは、完治するためには今までの考え方を変え、そのための労力や犠牲も生まれるからです。

例えば、

・今よりも体重が増えるかもしれない覚悟

・治療に時間とお金をかける覚悟

・治療に専念するために休む時間をつくる覚悟

・治したくても、すぐに治らないことを耐える覚悟

・他者と傷つけあっても信頼関係を築く覚悟  など

これらの覚悟が決まらない中で、病気の症状である過食を止めようとしたり、無理に食べようとしたりしても、心は置いてきぼりになる一方で、根本的には何も解決しません。しかし、「覚悟を決めること」が一番難しいですよね。それでも、この覚悟の話をお伝えするのは、どんな治療をしても最後はここにたどり着くことが多いからです。

病気の声に飲み込まれないために

「痩せたい」「食べるのが怖い」でも「治ることも怖い」

このような矛盾した心の声が聞こえてくるのは、摂食障害の症状です。これは、あなたの意思でコントロールできるものではありません。

完治の状態はこれらの病気の声が湧き上がらなくなることですが、克服する過程では幾度となくその声と闘うことになります。だから、その声に飲み込まれないためにも、「克服する覚悟」を心の片隅に置いて生活することが大切だと私は考えます。

日常を小さな幸せで満たす

「克服するための覚悟が必要」という話をしましたが、同時にプレッシャーを与える重たい言葉だとも感じています。

確かに、日常の中で「完治させたい」という全体的な意識がなければ病気の声に引き戻されやすいです。しかし、「病気を治したい気持ち」を持った上で、さらに必要不可欠なのが「日常の充足」です。

私を含め、多くの克服者の最終ステージでは、「日常生活を充実させる工夫をした結果、症状を忘れられる時間が長くなり、気づいたら何日も過食していなかった」という期間を過ごします。つまり、「日常を心地いいもので満たす」という工夫を積み重ねていくうちに、気づいたら心を過食で満たす選択肢がなくなっていたということです。

自分にとって心地よく、痩せにとらわれずに過ごせる状態が見つかれば、「痩せていなくてもいいかも」と思えるようになります。すると、たとえ2〜3kg増えても動じなくなってきます。なぜなら、体重ではないところにアイデンティティや生活の軸を置けるようになっているからです。

摂食障害は「痩せたい気持ち」から「ダイエット100パーセントの生活」になり、その影響は食生活のみならず生活習慣にも影響を及ぼします。習慣を変えることが一番大変なものですが、昨日と同じ生活をしていたのでは何も変わりません。1日10分で良いので、意識的に痩せること以外で自分を満たす練習をしていきましょう。

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AUTHOR

あかね

あかね@摂食障害相談室

「壁を扉に」を合言葉に、元摂食障害の心理士として「摂食障害オンライン相談室」を運営。1990年生まれ。高校生の頃に27kgになり10年に渡る摂食障害に悩んだのち完治。その間、入退院、高校中退、引きこもり、高卒認定試験合格の後に進学。大学では心理学を専攻し、卒業後は広告会社でコピーライター、デザイナーとして従事。30カ国60都市を訪問の末、宮崎に移住。カウンセラーの傍ら、農家でありクリエイターでもある。3児の母。



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