曖昧なままでいい…NHKドラマ『恋せぬふたり』考証メンバー“恋せぬ”なかけんが語る「性の多様性」
他者に恋愛感情を抱かず、性的に惹かれない「アロマンティック・アセクシュアル」というセクシュアリティを持つ男女2人の交流を描いた、岸井ゆきの×高橋一生ダブル主演のNHKドラマ『恋せぬふたり』。 当事者という立場からドラマの考証に携わるなかけんさんにインタビュー。当事者として感じてきた苦悩や、なかけんさんが考えるセクシュアリティの多様性、考証チームのメンバーとしてドラマに込めた想いなどを伺いました。
周囲と嚙み合わずに悩んだ「恋愛がわからない」という感覚
ーー他人に恋愛感情を抱いたり、性的に惹かれることがないセクシュアリティ「アロマンティック・アセクシュアル」を自認されているとのこと。ご自身のセクシュアリティが周囲と違うと実感した、印象的な出来事はありますか?
自分のセクシュアリティと向き合うきっかけになったのは、中学生の頃に仲の良かった友達を失った出来事でした。その子に「付き合ってください」と言われて、てっきりお買い物の誘いだと勘違いして「いいよ」と応えたのですが、その後しばらくしてその子が急に離れていってしまったのです。今思うと申し訳ないのですが、当時の自分は「なんで急に遊んでくれなくなったんだろう…」と思い共通の友人に相談すると「それは仕方ないよ…。恋人関係だったのに何も進展がなかったからうんざりしたんだよ」と教えてもらい、ショックを受けました。 相手は交際が始まったと思ったので、恋愛関係の進展がないことを悩んでいるようでした。
この経験で感じたショックは2種類ありました…一つは、自分が分からないと感じている「恋愛」が理由で一人の大切な友達を失ってしまったこと。もう一つは、その友達が離れていってしまったことに対して共通の友人が概ね共感していたことです。この出来事で、今まで感じていた「皆と何かが違う」という感覚が自分のなかでより鮮明になったように感じました。
それ以降も、恋愛がわからないことについて周囲に相談すると「まだいい人と出会っていないだけ」や「いつかわかるよ」というような言葉をかけられることが多く…。その反応が、まったく悪意がなく優しさによるものであるからこそ余計にどうしたらいいのかわからなくなってしまって…自分自身がどこか欠落しているのではないかという不安を何度も味わってきました。
「ない」という感覚を伝える難しさ
ーー「アロマンティック・アセクシュアル」であると、気付いたきっかけはどのような出来事だったのでしょうか?
「アロマンティック・アセクシャル」という言葉を初めて目にしたのは17歳の頃です。その頃はインターネット上に求めている情報が少なく「恋愛感情 わからない」「恋愛感情 ない」などと検索しても、辿り着くのはトラウマが原因でしばらく恋愛から距離を置きたいといった内容が多い印象でした。もちろん、それらも大切な情報であることは間違いないのですが、自分はそれとは違うという感覚がありました。
ページを遡っていくうちに「アロマンティック・アセクシャル」という掲示板に辿り着きました。一つひとつ目を通していくうちに自分と近い感覚を持った方の書き込みを見つけて、その時初めて「これだ!」としっくりきたんです。これが「アロマンティック・アセクシャル」という、自分のセクシュアリティをようやく言語化できた瞬間でした。
ーー周囲の理解をどのように築いてきましたか? また困難に直面したことはありますか?
「アロマンティック・アセクシャル」に関する直接的・差別的な発言を私自身受けたことは少なかった気がします。でもそれって「ない」ことが想像しづらいからだと思っていて。
以前両親に対して「恋愛がわからない。結婚を想像することが出来ない」という話をしたことがあります。今では「アロマンティック・アセクシャル」でも結婚できないわけではないことを理解しているのですが、その当時は恋愛や性愛が結婚には必須だと誤解していたこともあって、「恋愛しないし結婚はできない」という伝え方をしました。それに対する両親の返答は「いいんじゃない」という一言。
その当時の両親からの「いいんじゃない」は、私にとっては投げ捨てた感じの言い方に聞こえてしまったんです。それは意思を尊重してくれたというよりも「今後良い人が見つかるだろうし、今の段階で心配することないでしょ」という慰めの意味を含んだ「いいんじゃない」で、伝えたい意図とは違う形で受け取られているという感覚でしたね。
そういった言葉ってきっと慰めや励ましの部分が大きくて故意に差別したいわけではないと思うのですが…。その時は自分が持っている「ない」という感覚がきちんと相手に届かないことを体感してしまい、より悩んでしまいました。
全人類が、分類なんてできない存在である
ーー現在は、「アロマンティック・アセクシャル」の当事者として活動されていますが、どのような想いでご自身のセクシュアリティについて発信されているのでしょうか?
なかなか可視化されにくいセクシュアリティであるからこそ、youtubeのチャンネルを開設したり、当事者同士のコミュニティを作るためにイベントをしたり、講演をしたりいろいろと活動しています。
当事者として活動しているのは、「アロマンティック・アセクシャル」という言葉を単に広めることだけではなくて「理解の幅を広げたい」という想いです。
こういう人たちもいる、ということをまず知ることがなければ、決めつけてしまったり…他者に対する言動の選択肢が狭まってしまうと思うんです。知らなかった価値観に出会ううちに、あらゆることがグラデーションであること、周囲と比べることなくその人そのものと接することができるようになっていくのではないでしょうか。
だからこそ「アロマンティック・アセクシャル」にも多様性があることを大切に考えています。「アロマンティック(恋愛感情を抱かない)」だからこの条件に当てはまらないといけないというのもないし「ロマンティック(恋愛感情を抱く)」だからといって恋愛に基づかない人間関係を築くこともある。そのように他者との関係や恋愛のあり方は枠に当てはめることができないという点で、全人類が、分類なんてできない存在であることを常に心がけて活動しています。
ステレオタイプを植え付けてしまうかもしれない怖さ
ーー「アロマンティック・アセクシャル」の男女の物語を描く、現在NHK総合「よるドラ」にて放送中のテレビドラマ「恋せぬふたり」では、考証を担当されていらっしゃいますね。考証を担当することが決定した際のお気持ちを教えてください。
ドラマという媒体で「アロマンティック・アセクシャル」が題材として取り上げられる事に対して嬉しく感じる部分もあったのですが、正直なところ不安のほうが大きかったです。テレビの影響力はとても大きいので「アロマンティック・アセクシャル」のステレオタイプを植え付けてしまうかもしれない怖さを感じました。
例えば、テレビを見ていると、ゲイの男性が、性格が明るくて見た目が派手…のような偏った切り取られ方をしていると感じることがありました。同じように一部が都合よく切り取られてしまう怖さです。イメージが固定化してしまうと、新しい偏見を生み出すことにも繋がってしまう。価値観を広げるために「アロマンティック・アセクシャル」当事者として活動しているのに、テレビの影響力によって見る人の視野を狭めてしまうのではないかという不安がありました。
でも、関係者の皆さんがとても真摯に向き合ってくださり、少しずつその心配は取り除かれていきました。
「アロマンティック・アセクシャル」の中の多様性を描く大切さ
ーー考証メンバーとして、特に意識された部分を教えてください。
主人公の咲子と高橋はどちらも「アロマンティック・アセクシャル」という設定ですが、恋愛がわからない咲子と恋愛をしたくない高橋という感覚の異なる2人では描き方も違ってきます。
咲子の場合、恋愛に対して嫌悪感があるわけではないですが、周囲で巻き起こる恋愛の話題がわからないからこそ戸惑っていますよね。私の場合は、そういったわからない故のもどかしさや居場所のなさに共感します。咲子のキャラクターを描く際は、そういった点で自分自身の経験を活かして脚本家や演出の方々と相談させていただきました。また、考証に携わる上で大切にしていた部分が2つあります。
1つ目は、「アロマンティック・アセクシャル」の中の多様性を描いてもらうことです。「アロマンティック・アセクシャル」という言葉をアイデンティティとして使用している方々は沢山いるけれど、その中にも様々なパターンがあることを何よりも大切に考えました。
咲子と高橋をあえて異なるキャラクター設定で描いているところにもその意図が現れています。高橋は接触が苦手、だけど咲子はそうではない。2人のキャラクターにわかりやすく違いをつけることで「アロマンティック・アセクシャル」に対して極端なイメージが構築されてしまわないように工夫しました。
2つ目は、当事者に対する新たな偏見や誤解を生まないように可能な限り努めることです。ドラマの中で描かれる高橋は接触が苦手という設定ですが、その部分ばかりがクローズアップされてしまうと「アロマンティック・アセクシャル」の人は人との接触が苦手=冷たい人たちなんだ、というような新たな誤解を生み出すことに繋がってしまうかもしれない。そういったステレオタイプを生み出さないように気を付けながら、意見を出していました。
「共感」を得られたという当事者の方からの声
ーー視聴者の反響を受けて感じたことはありますか?
いろんな意見があっておもしろいなと思いながら反響を眺めていましたが、その中でも当事者の方からの「はじめてドラマを観て共感できた!」という感想が印象的でしたね。
恋愛感情をベースに描かれるドラマが多いため、これまでは共感することが少ない、ほぼないと言っていた当事者の方から「共感できた」という感想を聞けたことが嬉しく、新鮮に感じました。他にも、自分自身の感覚を受け入れることができたという声や、モヤモヤが晴れて自分の状態をようやく言語化できたという声も頂きました。視聴者の反響を受けて、このドラマに考証として関わったことに多少なりの意味はあったのかなと少しだけ安心することができました。
なんでもはっきりさせなくても大丈夫、曖昧なままでもいい
ーー考証に関わる当事者として、ドラマを通じて視聴者に伝えたいこと、考えてほしいことはありますか?
全ての方(当事者である、ないに関わらず)に伝えたいのは、このドラマを周囲の方に対する振る舞いを考えるきっかけにしてほしいということです。日常会話の中で、誰かや、ある属性の人たちに対して心無い一言をうっかり言ってしまうということを完全に無くすことは難しいですが、想定の幅を広げることによって、相手に伝える言葉の選択肢が少しでも広がればいいなと思っています。
例えば、「アロマンティック・アセクシャル」当事者に対する代表的な反応に「いつか(恋愛/性愛が)分かるよ」という言葉がありますが、それが「へえ、私はこうだけど、あなたはそうなんだね!」というような自分と他者の違いをそのままに受け取る関係で在れたら素敵だなと思います。さらに言えば「アロマンティック・アセクシャル」に限らず、皆さんにあらゆる恋愛や性愛の中に存在するグラデーションを捉えてほしいなという想いがあります。
恋愛という言葉一つとっても、一人ひとり想像するものは異なりますよね。「ドキドキするのが恋愛」「落ち着くのが恋愛」といったように、恋愛感情の濃さや望んでいる関係性も本当にさまざま。このドラマが「自分にとっての恋愛・性愛」を分解して考えたときに、どういう状態が心地よいかを想像するきっかけになればいいなと思っています。
もしくは、ドラマを観ながら過去や現在の出来事を振り返る中で、自分自身にはっきりしない曖昧な感覚を持つ方もいると思うんですね。でも、曖昧でいいんです。自分の状態を言い切れなくてもOKだし、敢えて言葉に当てはめなくてもいいし、自分自身が落ち着くならば当てはめてもいい…そんな風に「なんでもはっきりさせなくても大丈夫、曖昧なままでもいいんだよ」という感覚を自分自身にも他者にも持っていてほしい。
私の場合、恋愛や性愛について訊かれたときに、頭ではわかるけど完全に理解できているかはわからない。でも、その自分のままで自身を知っていくこと、他者を知っていくことはできる。その曖昧な状態で他者と関わることや、自分を受け入れることは自分や他者をより自由にしてくれるヒントになるんじゃないかと思います。
プロフィール/なかけん(中村健)
17歳の時にアロマンティック・アセクシャルを自認。当事者として学校・行政・メディアなど多方面にわたり啓蒙活動を行う。アロマンティック/アセクシュアル・スペクトラム(Aro/Ace)に関する調査、監修、講演を中心に行うAs Loopの一員としても活動している。また、2022年1月スタートのNHKよるドラマ『恋せぬふたり』では、As Loopのメンバーとともに、自身の体験を活かして考証を担当。
第7回 (3月14日(月)放送) あらすじ
咲子(岸井ゆきの)は高橋(高橋一生)との今後について話し合おうとするも、なかなか切り出せない。ある日、会社の企画のために高橋から野菜の雑誌を借りた咲子はそこに載っていたイノファームの社長・猪塚遥(菊池亜希子)に会いに行く。一方、高橋は同僚が結婚した余波で、野菜と関わる機会の減る「店長」に昇格することに。咲子は、いっそ転職してはと提案するが、高橋は亡くなった祖母の家を守るため割り切って働くと言い出し…。
よるドラ【#恋せぬふたり】
— NHKドラマ (@nhk_dramas) February 28, 2022
第6回ご視聴いただき、ありがとうございました⚡️⚡️
次回は3/14(月)!
第7回の予告をお届けします

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ヨガジャーナルオンライン編集部
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