母になりたい…不妊治療、死産、いくつもの壁を乗り越え「特別養子縁組」で母に|幸せのカタチ
妊娠や不妊について学んだ記憶はありますか? この連載では、不妊体験者を支援するNPO法人Fineスタッフ、また妊活ヨガセラピストとして活動するわたなべまさよさんが、妊娠を望んでいる人が知っておきたいことや不妊治療の現状を連載形式で綴っていきます。いつかお母さんになりたい人はきちんと知ってこれからのライフステージをデザインしてゆきましょう。
「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」(KADOKAWA)著者 池田麻里奈さん(不妊ピア・カウンセラー)
いわゆる「普通」とはちがった家族のかたち「特別養子縁組」によって母になるまでの道のり。インタビュー形式で不妊治療中に流産、死産、子宮を失った当時の思いに迫ります!
――昨年出版された著書を涙しながら一気に読みました。かなりオープンな内容で反響も大きかったのではないでしょうか。どんなきっかけで書かれたのでしょうか?
2年前に「生後5日の赤ちゃんを迎えて親になります、子育て始めます」というSNSの投稿を見た出版社の方から本を書いてみませんか?と声を掛けていただいたんです。自分が選択するときに情報が少なくて困ったので、次の人のお役に立てれば、という思いで書きましたが反響は予想以上でした。
――まずはご結婚から不妊治療をされていた頃について聞かせてください。
結婚したのが28歳、パートナー30歳。結婚と同時に妊活をスタートしましたが、なかなかできなくて。2年後の30歳から不妊治療をはじめました。周りの友だちはどんどん妊娠、出産しているのに治療に進んでも医師は若いから大丈夫でしょうと深刻さは伝わらなかった。赤ちゃんができるまで待機のような生活を送っていましたね。そこから治療は10年以上。人工授精、体外受精へ進み、2度の流産と死産を経験しました。
――「子どもを産み育てて一人前」そのような昔からの考え方はご自身にもあったのでしょうか?
あったと思うんですけど、気づいていなかった。これまでの歩みの中で出来ていった考え方ですが、とくに両親や親戚とか幼い時の記憶によるところが大きかったかな。でも、不妊当事者になってはじめてこんなにも傷つける考え方であり言葉なんだって分かった。子育てしてる人に向けるとうれしい言葉だけど、してない人にとっては本当に傷つける言葉。努力しているのに子どもがいない状況で言われると、生きていることを否定されている感じがしました。
――不妊は「つらい」というイメージがありますが、どんなところがつらかったですか?
ギャップですね。人生が止まってしまう程つらいのに、努力しても1年、2年、3年経っても全く変化がなくて。必死にもがいているのに周りはかんたんに子どもは?って聞いてくる。困難に直面したときは努力すれば自分で解決できると思っていたこれまでの経験とは違うはじめての壁でした。
――パートナーも同じ気持ちだったのでしょうか?
不妊治療は最初から一緒に取り組んでくれましたが、苦しんでいる気持ちはなかなか伝わらなかった。ふたりの将来、家族のことなのに理解してもらえないのはつらくて寂しかったですね。ふたりなのに孤独というのは独身のときとは違う孤独感。でも死産したとき、結婚8年目にしてようやく悲しみを分かち合えたんです。絆が深まったのは赤ちゃんの死。そんな悲しい出来事だけど、そこで夫婦はちょっと盛り返しましたね(笑)大切なのは他の誰でもない、ふたりの関係だと気づきました。
――のちに子宮を全摘出されたそうですね。
42歳のときでした。月経痛の痛みはひどくなる一方で、年齢的にもう妊娠は難しいだろうな……と分かっているつもりでも0.1%でも望みがあるならそれに賭けたい!って思いも捨てきれない。でもMRIの画像で子宮腺筋症の広がりを見せられたときにあぁこれはもう、と観念しました。
――乳児院で、母親の元で育てられない赤ちゃんに温もりを伝えるために抱っこするボランティアをされていたそうですがいつ頃から? つらくなかったですか?
死産してから1年後位からかな。もうすぐはじまる赤ちゃんとの暮らしだけを目標にしていたのに何もなくなっちゃって……。何かに熱中したいっていうのはあったのかもしれませんね。赤ちゃんがCMなんかでパッと目に入るだけでもつらくて、このままじゃ外も歩けそうにないけど、それじゃいけないなと思ったんです。
以前から養子について調べていて、家庭で育たない子がたくさんいるのは知っていたので、手助けになるならしたい! とはじめましたが初めて抱っこしたときはつらさより、困難な中でも「生まれてきてくれてありがとう」って思いましたね。
――養子を迎えたいという思いはパートナーとの温度差はありませんでしたか?
ありました。そこから4年くらい時間をかけて話し合いました。
――4年!そこまでの道のりがあってようやく息子さんを迎えられたときの気持ちはいかがでしたか?
血のつながらない子どもを愛せるのか? という不安は抱えていましたが、赤ちゃんの笑顔でどこかに飛んでいきました。代わりに、私たちにつないでくれた命をしっかり育てなければいけないという責任感が爆発していたと思います。2年が経ちますが、周りの人たちにも受け入れられて家族3人、幸せで穏やかな日常を過ごせています。
――いつかはお母さんに、と思う人に向けてメッセージはありますか?
「お母さんになりたい」以外にも共通していますが、思い描いた道に進めないと苦しいですよね。幸せになりたいから思い描くのだと思いますが、幸せはその道ひとつだけじゃない。大きな壁にぶつかったら思い描いたところを何度でも描き直していいんです。
多様性が尊重されるようになったと言っても、いざ自分が「世間のスタンダードな選択肢」以外を選ぼうか悩んだとき、勇気を出し一歩を踏み出すには葛藤が生じるかもしれません。私自身「自分で産んで育てる」考え方があまりにも普通すぎて他の選択肢を考えるまでに時間がかかりました。でも、とことん考えて自分で選んだ道は納得します。ぜひいろんな選択肢があることを知り、選択権は世間ではなくていつも自分にあるって思って欲しいです。
お話を伺ったのは…池田麻里奈さん(twitter:ikedamarimam)
不妊ピア・カウンセラー「コウノトリこころの相談室」を主宰。10年以上不妊治療に取り組む。人工授精、体外受精、二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘後、44歳で養子を迎える。数々のメディアや大学で講演活動を行う。
AUTHOR
わたなべまさよ
不妊ピアカウンセラー・ヨガ講師・不妊体験者を支援するNPO法人Fineスタッフ。長期の不妊治療で体と心のバランスを崩したときに毎日実践したヨガで回復。その後妊活をサポートする側にシフトし、自治体、病院などで妊活講座の講師やヨガとカウンセリングを併用したヨガセラピーを行っている。
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