恋に落ちるのはなぜ?ヨガ的視点で考える

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恋に落ちるのはなぜ?ヨガ的視点で考える

SALLY KEMPTON
SALLY KEMPTON
2018-01-09

出会ったばかりの人なのに昔からよく知っているかのような錯覚に陥る。理由もなく惹きつけられる…これらの事象は、ヨガにおいては「カルマが働いている」と考えられている。いったいどういうことなのだろう? 

ヨガのコミュニティにおいては、よく耳にする「カルマ」という言葉。カルマとは、ヨガと仏教両方の道における基本的な概念であり、その根底にある教えによって、人生のなかの多くのことを「理にかなったもの」にするものなのだ。サンスクリットの語源から訳されたカルマという言葉の意味は、単に「行為」だ。だが、ヨガの伝統では、カルマという言葉を3通りに定義している。先に紹介した「行為」というものに加え、2つ目が「過去の行為が現在の自分の性格や人生経験に与える影響」、3つ目が西洋で「運命」と呼ばれているものだ。カルマの教えでは、一瞬一瞬が過去の実りであり、未来への種蒔きである。「カルマ」という言葉だけ聞くといかにも宗教的に感じてしまうと思うが、カルマと人間関係について学んでみよう。

恋に落ちるのは「その人とすべき何かがある」から

ある意味、人生で出会う人はすべて、自分とカルマのつながりを持った人だ。けれども、真のカルマの人間関係とは、運命的な強い結びつきが感じられるような他者との関係を指す。会ったばかりでも、その人をよく知っているように感じられることもあるだろう。自分がカルマの関係のなかにいるとわかるのは、誰かに対して義務感を持ったり、理由もなく惹きつけられたりするとき。また人生が大きく影響されるとき、ある人間関係から抜け出そうとしてもできないようなときだ。
ロマンスにおいては、突然思いがけずに心を奪われるのが、カルマの関係が働いているサインだ。恋に落ちる感覚は、大抵は、カルマがうまく働くところにその人を置いておくためのフック。数年を経て、次第に恋愛感情が消えていったときには、一体どういう経緯でパートナーとこうなったのかと不思議に思うかもしれない。「その人とともにすべき何かがあったから」というのがその答えだ。ヨガの見解からいうカルマとは、人々を惹きつけ合う磁石であり、そして彼らをその場所に留まらせておく接着剤のようなものだ。

恋に落ちるのはなぜ? ヨガ的視点で考える
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そのほかに見られるカルマの関係のサインは、自然に起こる義務感だ。ある人に対して何か借りがあるように感じることも、また別のときには、その人が自分に対する義務を負っているように感じることもあるだろう。かつて使われていたカルマという言葉の定義のひとつに、「借り」がある。何かを負っているのだ。
たとえば、ジェニーという私の生徒は、何年もの間、妹のリサを助けなければいけないという強い気持ちにとらわれていて、お金を貸したり、何カ月も自分の部屋に住まわせたりしていた。すると、ある時点でリサが彼女にこう言った。「もう十分いろいろしてもらったと思うわ。姉さんの寛大さには本当に感謝しているの。これからは、私がディナーをごちそうする側になりたい」。カルマについてヨガの教えを勉強していたリサは、ある意味直感的に、自分とジェニーの間にあったカルマ的な借りが清算された、とわかった。そこで今度は、平等な人間関係をつくりたいと思ったのだ。

人間関係のすべてにカルマは介在する

親、子供、パートナー、上司など相手にかかわらず、どんな人間関係でも、そこにカルマが介在していると感じたら、その根底で働いている力を理解するようにしてみよう。この姉妹の場合は、リサが気づいた。ジェニーの「強く、人を助けられる自分でありたい」という気持ちによって、自分自身の無力感があおられているということに。同時にリサは、ふたりが本当の意味で大人の人間関係を築き上げるには、そういう関係を改めるべきだとわかったのだ。
リサとジェニーのように、もし特定の人間関係の根底にある力にネガティブな側面を認めたら、その古いサイクルを壊すような選択を始めればいいだろう。考え方や行動を変えようとする強い意志を持ち、それを実行するにはどんなステップから始めていくべきか見極めるようにしよう。

Translated by Yuko Altwasser
yoga Journal日本版Vol.24掲載

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