「女性VS男性ではなく、一人ひとりが生きやすい社会に」せやろがいおじさんが考えるジェンダーの平等
沖縄の海を背景に、赤いTシャツ・赤いふんどし姿で社会問題について問題提起する動画を配信している芸人・せやろがいおじさん(榎森耕助さん)。性暴力被害・女性管理職割合・男性の生きづらさ・緊急避妊薬・痴漢被害などジェンダーに関する発信も行っています。ただ、最初からジェンダーの発信をしていたわけではなく、ある動画では「女性蔑視をしている」と批判を受け、自身を省みたことも語っています。せやろがいおじさんにジェンダーに関する発信を始めてからの変化や、差別をなくすために意識していることについて伺いました。
気づけてよかったけれども、落ち込むことも
——ジェンダーに関して発信するようになって、ご自身にどのような変化がありましたか。
30年近く世の中の権威勾配や男性特権を全く意識せずに生きてきたことに気がついて、正直、落ち込むことが増えました。日々学んで意識して生きているものの、ふとしたときに「染み付いたものが出ていたかもしれない」と反省することがあります。でも落ち込んでばかりもいられないですし、気づけてよかったと思っています。
——今でも後から「こう言っておけばよかった」など後悔することはありますか。
そうですね。YouTubeでラジオをやっているのですが、女性の出演者と話していて「いつ結婚するんですか」とぼろっと言ってしまったことがあって。その場で視聴者さんから「今のは良くないですよ」などとご指摘をいただいて、謝罪したこともありました。
日常生活でコミュニケーションのつもりでポロっと言ってしまうことに対して、はっとすることは結構あります。頭ではわかっているけれども、半分くらい言ったときに「これは駄目なことでは」と気づくこともありますね。
——ジェンダーに関する発信をするようになって、周囲の反応はいかがでしたか。
女性からは「男性からそういう発信をしてくれると嬉しいです」というものが多いです。一方で「そういうことを発信して、人々の関心を集めたり評価されたりするのも男性の特権だよね」という意見も届きます。男性が発信することの価値はあるものの、過度な評価を受けてしまうのも一種の特権であって、発信することの難しさも感じています。
SNSでは男性からも「男性社会の中での競争がつらい」「男社会特有のイジりが苦しい」などの共感の声がありますが、リアルな関係で「ジェンダーの問題は女性だけでなく、男性にも生きづらさを与えている」という話をしても、周囲の男性はあまりピンときていないことが多いです。
たとえば「男性は家族を養うもので、収入が多いと価値がある」という価値観はもちろん生きづらさに直結しているとは思うのですが、その価値観自体が既にその人に内面化されていて、「男性が稼ごうと思って頑張るのは別に悪くないでしょう」という反応が返ってくることも、リアルな場では少なくありません。
——せやろがいおじさんはどのように「男性の生きづらさ」を感じたことがありますか。
僕が若手芸人の頃に「年収500万円以下の男は男じゃない」と言われたことがあって、「自分の存在は何なんだろう」と感じたことがあります。「男性だったら高収入で競争の中で勝ち抜いている方が優れている」「男性なら大黒柱として責任を果たすべき」という価値観はしんどいものだと思います。
かつては「絶対に自分の収入では子どもを持てない」「俺の収入で家族を養っていけるのか」と強いプレッシャーを感じていました。そういった経済的な側面の苦しさと、当時は「男性ならばそうあるべき」という考えもあったので、社会の中で男性に求められている役割が果たせない苦しさのようなものも感じていました。
「我慢し合う」のではなく、生きづらさを解消していく
——女性差別については、男性の生きづらさを引き合いに出して認めない人がいます。女性差別の解消に向き合いつつ、男性の生きづらさについても向き合うには、どのようなことが大切だとお考えですか。
女性差別について防衛本能のように「俺は悪くない」と言いたいのだと思います。でも「男性で生きづらい思いをしている人もいる」「俺は男で生きづらいけれども頑張ってるから、女性も頑張れ」など、男性の生きづらさを主張し、女性の生きづらさを仕方のないものとして我慢させようとするのは、不毛なことだと考えています。
女性の生きづらさも男性の生きづらさも、ジェンダーバイアスによるものであって、根幹は社会構造的な問題です。「女性VS男性」という話をしているのではなく、「一人ひとりが生きやすいように生きられる社会にしたい」という目的は同じであるはず。
ただ、それでも構造的には男性に特権があるので、男性は特権を自覚することが必要だと思います。そのうえで、お互いの生きづらさを解消するため、共有する形で打ち明けていくのは良いことだと思います。
気を付けていても差別してしまうこともある
——貴著『せやろがい!ではおさまらない - 僕が今、伝えたいこと聞いてくれへんか? -』(ワニブックス)では、女性蔑視的な動画について指摘を受けた後で、「女性蔑視のつもりはありませんでした。誤解を与えて不快な思いをさせたのであれば申し訳ありませんでした」といった、いわゆる「ご不快構文」の謝罪コメントを出したことについても触れています。「ご不快構文」で謝罪する心理とはどのようなものだとお考えですか。
本音は「自分には問題がない」と言いたいのだと思います。「不快にさせたらごめんなさい」とは、言い換えると「自分には悪意もなかったし、自分の行動には問題ないけれども、受け手のあなたが不快に感じる結果を招いたならごめんなさい。あなたがこれ以上騒がないためにも謝罪という形で火消しをしたいです」といった感じではないでしょうか。
ただし、本当に自分の問題点に気が付いていない場合もあると思います。「無意識の偏見」という言葉があるように、誰かを差別したり偏見を持ったりすることを100%防ぐのは難しいことですし、僕もご指摘をいただくことがあります。
——「ご不快構文」をやめるためにどんなことが必要でしょうか。
相手の受け取り方ではなく、自分の内面や言動に問題がある前提で向き合うことです。自分に目を向けて「何が駄目だったのか」問題を理解したうえで謝罪をし、改善の約束をするならば、納得していただけるのではないでしょうか。完璧な人はいないので、「自分は大丈夫!」と思うのではなく、「自分は大丈夫?」と自分のことを疑う視点が必要です。
——人間「自分は正しい」と信じたいものですし、自分を疑う癖をつけるのは難しいと思います。自分を疑う習慣はジェンダーや人権問題に触れていくうちにインストールされたのでしょうか。
そうですね。ときどき「自分は性別や人種で偏見を持ったり差別したりすることはない」と堂々と仰る方もいるのですが、差別の本質的なことが理解できていないのではと思います。差別している人で「差別しよう」と思って差別している人はほとんどいなくて、多くの場合は知識がなかったり無意識だったりすることによって、悪気なく差別をしていると思うんです。
たとえば、先日読んだ『差別はたいてい悪意のない人がする: 見えない排除に気づくための10章』(大月書店)では、障がいのある人に「希望を持ってください」と励ますつもりで声をかけることが、侮蔑的な発言として取り上げられています。その言葉はその人の無意識の中に「障がいのある人の人生は絶望的なもの」という前提があるから出てくる言葉であると指摘されていました。
その人のルーツや背景を知らなければ、どういう言葉が差別にあたり、どういう言葉がその人を傷つけるのか理解できないところがあります。ですので、デフォルトの状態で全ての人のルーツやバックボーンを知ったうえで、自分の言葉を全部適切なものに選んで話せる人は世の中にいないと思います。当然、自分自身もどこかで加害性を発揮してしまうことはあり得るのだろうと思いながら生きています。
▶ 後編「お笑いはコンプライアンスのせいでつまらなくなった?」せやろがいおじさんが語る、笑いと人権の尊重
【プロフィール】
せやろがいおじさん/榎森耕助(えもり・こうすけ)
2007年、お笑いコンビ「リップサービス」を結成後、ツッコミ担当として主に沖縄で活動をしている芸人。2017年から『せやろがいおじさん』としてYouTubeやTwitterへの動画投稿を始め、赤Tシャツ・赤ふんどし姿で社会問題に対しての問題提起などを叫ぶ。2021年3月現在、Twitterフォロワーは約30万人、YouTubeチャンネル登録者数は約32万人。2019年9月~2020年9月までTBS「グッとラック!」で毎週レギュラーコーナーを持ち、VTR出演した。全国ライブツアーや講演なども精力的に行い、MC業もこなす。2020年10月、せやろがいおじさん初となる書籍『せやろがい!ではおさまらない -僕が今、伝えたいこと聞いてくれへんか?-』を発売。せやろがいおじさんTwitter:@emorikousuke。
★スタンダップコメディの本場アメリカ・シカゴを拠点に活動する日本人コメディアン・Saku Yanagawaと初めてのコラボレーションを実現させ、スタンダップコメディライブ「Top of the 1st!」を開催。2022年7月1日(金)の東京を皮切りに、札幌・仙台・岐阜・名古屋・京都・大阪・奈良・沖縄・福岡・広島と全国11か所を回る全国ツアーを開催します。詳細は「リップサービス公式サイト」にて。
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