相手を肯定するのに必要なことはとてもシンプルなことだったという話|チョーヒカルの#とびきり自分論
誰かが決めた女性らしさとか、女の幸せとか、価値とか常識とか正解とか…そんな手垢にまみれたものより、もっともっと大事にすべきものはたくさんあるはず。人間の身体をキャンバスに描くリアルなペイントなどで知られる若手作家チョーヒカル(趙燁)さんが綴る、自分らしく生きていくための言葉。
ニューヨークに来て衝撃を受けたことのひとつは、どれだけみんな自分の気持ちを話すかということだ。恋バナとか愚痴とかではなく、もっと真っ直ぐに自分の感情や「重い」ことを話すのである。もちろんそういう話が苦手な人もいるし、みんながみんなではないのだけど、そういう話題に遭遇する確率が日本にいるときと比べて圧倒的に高い。
28年間生きてきて、割と正直だしオープンな性格だと思うが、自分の心のうちや抱えている問題を友人に話すということを私はほとんどしてこなかった。長年付き合ったパートナーに話すことはあっても、それくらいだ。たとえばそれが負の感情なのだとしたらそんな重圧を人に背負わせたくはないし、将来への希望なのだとしたらオチがなさすぎて話すのが億劫だ。いつでも「こんな話をしてもしょうがない」と思って辞めてしまう。しかしニューヨークではそうはいかない。友人達と飲みながら夜が深まってくると、必ず誰かがそういう話を始めるのである。
「俺子供の頃から皮膚病持ちでさ」
「そうなんだ」
突然の「重い」告白に私が驚いている間にもズンズン話はすすむ。もう一人の友人はあっけらかんと相槌を打っている。ちなみにそれまでは最近観た映画の話をしており脈絡などは一切なかった。
「ずっとそれがコンプレックスだったわけ。服とか脱げないし。友達とかにプールでなんで脱がないのとか言われて、理由も言えないし。一生セックスもできないと思ってた」
「そうなんだ、辛かったな」
「うん、で、結構ずっと意地はって平気なふりしてたんだけど、その辛さを家族とか友人に話すようになってようやくなんか楽になってさ」
「あるある」
「最近自分に合った薬も見つかって、マジめんどいけど、でもよくなってきたんだ。自分が思い詰めてたより重要なことでもないって気づいたし。まあツルツルの肌に生まれ変われるなら一瞬で生まれ変わるけど」
「うわ〜わかるな〜。私は不安障害があってさ…」
どうコメントをしたら誰も傷つけないか、何がベストアンサーかを必死で脳内で計算して脳みそがオーバーヒートを起こしているうちに、彼らはまた別の「重い」話題にうつった。私には他人の感情を受け止める器がなかった。重い話題だ思ったら、脳がシャットダウンしてしまうのだ。ずっと対峙せずに逃げ回ってきたからだ。
最初は「さすが海外、オープンだな」と斜に構えていたのだが、そのうち私にも順番が回ってきてしまった。
「ヒカルは?最近どう?」
その時私はルームメイトとのいざこざで結構精神的にまいっていた。だけどそれは決して面白くない話題だ。
「いや、特に」
「え!うそだ!なんか元気ないし」
「いや、別に大したこと起きてないよ」
「…俺聞きたいな〜俺が勝手に聞きたいから話してよ」
「なんか辛いことあるんだったら私たち絶対味方だよ〜」
まだ知り会ってから数ヶ月しか経っていない友人達だ。親友と思う相手にシェアすることも戸惑うような暗い話をしていいとは思えない。でも二人はそんな不安を感じさせる隙もないぐらい「聞きたい」と言ってくれた。話す言い訳をくれた。私は観念するようにポツポツ話をした。「辛い」と初めてしっかり口に出した。
「でも、これ私は思い詰めすぎてるかもしれない」
「センシティブすぎるのかも…」
そんな自己否定的な言葉を口にするたび
「いや、そう思うの当たり前じゃん!なにも変じゃないよ!」
と肯定をしてくれた。半泣きになりながら、でも決して暗い雰囲気にはならず話を終えて、胸がスッと軽くなった。
昔から、我慢した方が偉いという価値観が植え付けられている気がする。辛いことがあっても理不尽があっても、感情を出さず我慢している方が美しいという価値観。負の感情は他人への負担でしかないだろうという推測。話すのであれば面白くなくてはいけないという謎の責任感。それを全部覆してこの新しい友人達は、私を肯定してくれたのである。面白さでも忍耐強さでもなく、ただ私を人間として肯定してくれたのだ。私の心のモヤモヤは決して「話してもしょうがない」ものではないと、思わせてくれた。重いと思う話題でも、真っ直ぐ受け入れて自分の感情を同じように伝えるだけで、その気持ちに、その人本人に寄り添うことができるのだ。長年付き合った恋人や家族じゃなくたって、そうやって心を開き合い肯定し合うことができるのだ。
辛いことを辛いとすら言えないことは、本当に毒だ。辛い気持ちを含めて愛する人たちをしっかり肯定したい。そのためにもまずは自分から"開いて"いかなくては。
AUTHOR
チョーヒカル
1993年東京都生まれ。2016年に武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科を卒業。体や物にリアルなペイントをする作品で注目され、衣服やCDジャケットのデザイン、イラストレーション、立体、映像作品なども手がける。アムネスティ・インターナショナルや企業などとのコラボレーション多数。国内外で個展も開催。著書に『SUPER FLASH GIRLS 超閃光ガールズ』『ストレンジ・ファニー・ラブ』『絶滅生物図誌』『じゃない!』がある。
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