恋人が欲しいわけじゃないのに…私が無意味なデートを繰り返す理由|チョーヒカルの#とびきり自分論

 恋人が欲しいわけじゃないのに…私が無意味なデートを繰り返す理由|チョーヒカルの#とびきり自分論
Cho Hikaru/yoga journal online

誰かが決めた女性らしさとか、女の幸せとか、価値とか常識とか正解とか…そんな手垢にまみれたものより、もっともっと大事にすべきものはたくさんあるはず。人間の身体をキャンバスに描くリアルなペイントなどで知られる若手作家チョーヒカル(趙燁)さんが綴る、自分らしく生きていくための言葉。

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私の体は私のもので、どう美しいか、どうすべきか、は全て自分のためにあるべきである。本当にそれを私は心から信じているし、能動的に信じたいと思っているのだけど、時々矛盾が生じてしまう。

時々無意味デートをする。別に大してモテるわけでもないが、本当に好きでもなんでもない、友人を介して出会ったりランダムに飲み屋で会った人に誘われ、ああこれはデートの誘いかなと思いつつもあまり気づいていないふりをして、だけどできる限り一番「美しい」装いをしてデートに出向いてしまう時があるのだ。

一張羅のワンピースを引っ張り出して、髪もちょっとまいてみたり。長い時間履くと足が痛くなるから敬遠しているヒールだって履く。普段は邪魔だからしないアクセサリーもじゃらり。指輪と大きなイヤリングの色を合わせてみたり。

初めての相手とのデートというのは大抵定番コースになる。映画を見てご飯とか、植物園に行ってご飯とか、会話も大体お決まり。なるべくたくさん質問をして、なるべく真摯に全て答える。「仕事は」「趣味は」「最近見て面白かった映画は」。ほとんどの場合は相手にそこまで興味もないし結局つまらなくて、最中に友人に「早く帰りた〜い」などとメッセージを送ってしまう。

これを何度も繰り返された友人はすでに呆れており、

「じゃあなんでいったの?恋人欲しいわけでもないくせに」

といつも少し怒る。えへへと笑いながらつまらないデートで1日を潰し、夜の誘いをふわっと交わし私は家に帰る。そしてああ無駄な時間だったな〜とおもう。ここまでが無意味デートのセットなのだ。

ちょっと前、そんな無意味デートで少し危ない目にあった。無理矢理襲われそうになったのである。なんとか帰って来れたもののそれを伝えた友人は頭を抱えていた。

「なんでデートに行くの?付き合う気ないんでしょ」

「無いね」

「よく知らない人ばっかだしそれなりにリスクもあるじゃん」

「そうだね」

「大体の場合楽しんでも無いじゃん」

「うん」

「じゃあなんでなの!」

「・・・」

なんでだろう。ぐっと考えると見たくない答えが浮かんでくる。もしかして。

「・・・私、求められてるって感じたいんだ」

「・・・は?」

友人は呆れたを通り越してもう怒っている。

「なにそれ!自己肯定感ってこと?そんなの他人に頼ってちゃダメじゃん」

「うん、そうだね」

「ヤりたいとかちょっと可愛いとか、そんなのどうでもいい人に思われても本当に価値ないじゃん!」

「ごもっとも」

「・・・」

行き止まりの会話に痺れを切らし、友人はもういいよ、好きにしな、と返信をやめた。本当にごもっともだ。同意しかない。他人の承認なしに自分を愛してあげたいし、それだけで十分であって欲しい。

私は愛している人といるときあまり化粧をしない。服だって雑だ。それはその人を信用しているからで、私が私のままで一緒にいられる人を愛しているからだ。だけどこの無意味デートに赴くときは、「この人が一番魅力的だと思うであろう姿形」を全力で再現する。メイクもアクセサリーもネイルだってする。いつもはつけないガチガチのブラをして、いつもより少し肌を出してみたりもする。それはまるでコスプレのように。

誰かに求められた時、欲望の対象になった時だけ許せる部分が自分の中にまだ残っているのだと思う。もっと若い頃はもっと酷かった。自分を恋愛対象として見ている人の存在が自分の存在意義のように思えていた瞬間だってあった。それはさすがに終わったけれど、まだ私のどこかに、求められないと許せない部分がある。もしかしたらまだ何か可能性を感じていたいのかもしれない。ありのままの自分を受け入れるよりも、自分より良い何かになれるのではないかと、そういう希望を抱きたいのかもしれない。自分がなれなかった「女の子」に、心の片隅でやっぱりなってみたかったなと思っているのかもしれない。なんにせよ、恋愛対象として興味を持たれることで、痛いくらいの欲望で体を求められることでのみ、愛してあげられる自分がいる。

全部馬鹿みたいで意味のないことじゃんと言われて仕舞えばその通りだ。でも世界は馬鹿で意味がない事ばかりでできているじゃないか。

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AUTHOR

チョーヒカル

チョーヒカル

1993年東京都生まれ。2016年に武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科を卒業。体や物にリアルなペイントをする作品で注目され、衣服やCDジャケットのデザイン、イラストレーション、立体、映像作品なども手がける。アムネスティ・インターナショナルや企業などとのコラボレーション多数。国内外で個展も開催。著書に『SUPER FLASH GIRLS 超閃光ガールズ』『ストレンジ・ファニー・ラブ』『絶滅生物図誌』『じゃない!』がある。



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