恋の始まりと、恋の終わり。そこに確かにあったもの|チョーヒカルの#とびきり自分論

 恋の始まりと、恋の終わり。そこに確かにあったもの|チョーヒカルの#とびきり自分論
Cho Hikaru/yoga journal online

誰かが決めた女性らしさとか、女の幸せとか、価値とか常識とか正解とか…そんな手垢にまみれたものより、もっともっと大事にすべきものはたくさんあるはず。人間の身体をキャンバスに描くリアルなペイントなどで知られる若手作家チョーヒカル(趙燁)さんが綴る、自分らしく生きていくための言葉。

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恋が終わった。といっても誰かと別れたとか告白して振られたとかではなく、あ、あの人のこと、好きだなあ、というふわふわしたあまがゆい気持ちが少しずつ薄れてようやく無くなったのだ。また、時間が恋心をなくしてしまうことを証明してしまった。

今回なくした恋は飲み会で偶然会った人だった。恋人を絶賛募集中の共通の男友達に呼ばれた飲み会で、私たちは初対面でありながらがっちり同盟を組み、友人が出来る限りたくさんの女の子と喋れるように画策したりした。変なことを言った時必死でカバーしたり、彼の良いところが出る話題を降ったり。そんな共同作業がよかったのかなんなのか、その友人が女の子と2人で二軒目に移動する頃わたしたちも2人で別の二軒目に移動した。初対面で何かを感じる時はいつも「前から知っている」感じがする。今まで会ったことも話したこともない、だけど心臓の同じ部分から話ができている感じがする。言葉に出してない部分まで少しの目配せでわかりあえている気がする。話をするリズムがあっている。ほんとに臭い表現で申し訳ないのだけど、私の形と不気味なくらいぴたっとハマる形をしている、感じがする。

何もなく二軒目を終えて家に帰ったあと、連絡先すら交換していないことに気づいてTwitterを検索した。いた。なんか、ストーカーっぽいだろうか。いやでも一緒にお酒も飲んだし、と自分を説得してフォローをして、DMまで送ってしまった。すぐに返信は返ってきた。心臓がずっとはち切れそうだった。問題は、私に当時パートナーがいたことだった。

恋の始まりはいつもエキサイティングだ。高揚して、理性的ではなくなって、少しの空き時間に決まってその人の顔が浮かんで。何しているのかな、話したいな、会いたいな。ああ、でもこんなことを思っているのは私だけだろう。そんな考えを行ったり来たりして百面相だ。ほんのりと幸せも感じる。こういう気持ちを誰かに抱けることが、こうやって胸がぎゅっと痛くなることができて嬉しい。

だけど私はなんだかんだ大人で、大切な人と離れる気にはなれなかった。長年付き合ったパートナーとの関係には絶対的な安心と愛があって、それを新しい胸のときめきに任せてかなぐり捨てることなんて到底できなかったのだ。話し合いもして、頭の中でいろいろなものを天秤にかけ、この恋は忘れようときめた。パートナーがいる時点で他人になんてときめかない、というのが一番の理想なのだろうけど、「運命の一人」を信じられる年齢はとうにすぎてしまった。

特にアクションを取らないまま、時々会話する程度で月日を過ごしているうちに、目論見通り恋心は薄れた。最初はその人が誰かとデートに行ったという情報を聞いて無意味にヤキモキしたりしていたのだが、そのうち諦めがついた。数ヶ月、彼のことを考えないように脳に言い聞かせるのに必死だったのに、それもなくなった。付き合ったらどうなっていたか、なんて取らぬ狸の皮算用をあんなに繰り返していたのに。その後かなりしばらくたって、当時いたパートナーと別れた時も、その人に連絡を取ろうとは思わなかった。

つい最近、久しぶりにその人から連絡が来た。とある文章を英訳してもらえないかという内容だった。通知に彼の名前が表示された時、あまりに平穏な自分の胸に面食らってしまった。もう、ない。確かにそこにあった煮えたぎるような感情が、混乱が、熱が、もう完全になくなっている。あの時確かに「巡り会った」と思った相手だ。不気味なくらいに呼吸があった相手だ。何か現実世界にいないものを信じてしまいそうになった、相手だったのに。こんなにさっぱりなくなってしまえるのだなあ。

恋は水物なのだなあと改めて思う。人を溺れさせるほど強烈で確かな存在なのに、私に受け取る器がなければ、どこかへ流れていってしまって2度と巡りあうことはない、掴めない何か。当時の自分の決断を後悔なんてしていないし、何度も恋をする中で恋心がいかに単純でたいそうなものではないかも理解しているつもりだ。だけど、やっぱりどこかで運命を信じてしまっているのだろうか、自分の心をあんなに揺らしてくれた何かがもうなくなってしまったことが、悲しく思える。恋が終わるときはいつも寂しい。

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AUTHOR

チョーヒカル

チョーヒカル

1993年東京都生まれ。2016年に武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科を卒業。体や物にリアルなペイントをする作品で注目され、衣服やCDジャケットのデザイン、イラストレーション、立体、映像作品なども手がける。アムネスティ・インターナショナルや企業などとのコラボレーション多数。国内外で個展も開催。著書に『SUPER FLASH GIRLS 超閃光ガールズ』『ストレンジ・ファニー・ラブ』『絶滅生物図誌』『じゃない!』がある。



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