己と向き合い邁進!インド聖地巡礼の旅
無数のアップダウンを繰り返しながら1.5キロほど歩いたところで、私たちは日陰を見つけて休憩し、水を飲んだ。この旅を企画したヨガティーチャーでラーニングジャーニーの社長、キャロル・ディモポウロスが息を切らしながら「ああ、シヴァ様!」と言ったので、私たちは笑った。それは、グループのうちの数人が、辛い時期に繰り返し口にしていた言葉だった。
私自身も「ああ、シヴァ様!」と何度も口にしてこの1年を過ごしてきた。辛い失恋、引っ越し、新しい仕事など、大きな変化が立て続けに起こり、感情的にも肉体的にもかなりきつかった。ゴームクや北インドの聖なる町や寺院を訪れることにしたのは、自分と向き合い、新しいスタートを切るにはいい機会だと思ったからだ。
外面と内面との対峙
標高3350メートルに達すると、道の両側には、強い日差しに育まれた野生のヒマラヤンローズが咲きほこっていたが、私たちはへとへとだった。数人は高山病を発症し、頭痛と吐き気で歩くペースが落ちていた。そして誰もが、静かな山道を歩くうちに押し寄せてくる感情のうねりに呑み込まれていた。それは友人のエリザベスが教えてくれたとおりだった。彼女は数年前にインドに住んでいた頃にこの巡礼を経験していた。
「インドでは外の世界を巡礼しながらも、自分の内面で湧き起こるものに向き合わざるを得なくなるの。それはなじみのあるような、素晴らしく神聖なものよ」とエリザベスは、私が旅立つ前にメールをくれた。
「何があろうと、あなたが今にとどまり、大いなるものに委ねられますように」
聞きなれない言葉、山道脇の大きな石に書かれた複雑なサンスクリット語、すべてのものに染み込んでいる信仰心、世界の果てに近づいているような気分にさせる地平線にそびえ立つ山々。まったくなじみのないものに囲まれていても、私は驚くほど穏やかな気分だった。
前の年に起きた数々の変化で生じた悲しみや不安は、このヒマラヤの山道で感じる幸せや感謝、信頼によって癒されていた。私は湧き起こる感情を味わい今にとどまりながら、この地に深く根ざしている精神的な伝統であるヨガの真の目的を体験していた。
今日の行程の半分を過ぎた頃、私はシンや仲間たちよりもだいぶ前を歩いていた。ひとりで山道を歩くのはいい気分だった。出会うのはゴームクから戻ってきた巡礼者たちだけ。ほとんどが年配のインド人の男性で、ぼろぼろのルンギー(伝統的な腰衣)にプラスチック製のサンダルを履いて、聖なるガンジスの水を汲んだ壺を抱えていた。REIのパンツにランニングシューズ姿の私は目立っていたが、別に気にならなかった。道で行き交う誰もが、親しげにうなずきながら「シータラーム」(「こんにちは」「元気」の意味)と挨拶をしてきた。
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