「デンマークの考え方は禅と似ている」ニールセン北村朋子さんインタビュー|後編

 「デンマークの考え方は禅と似ている」ニールセン北村朋子さんインタビュー|後編
Photography by Kazue Ishiyama
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正解も完成形もないこと

世の中のほとんどはグレーなことが多く、そのグラデーションが違うだけで、はっきりとした正解は少ないですよね。日本や、以前住んでいたアメリカではそういうものを一刀両断したり、決めてくれるリーダーを求めがちなように感じます。ですが、世の中はそんなにシンプルじゃないから、誰か一人のヒーローやヒロインが世の中を救うことはできないのではないでしょうか。

デンマークが民主主義と教育に大きな価値観を置いているのも、そこに正解も完成形もないことが前提になっているからだと思います。それはある意味めんどうなことではあるけれども、だからこそ、おもしろがってみんなで取り組み続ける。

フォルケホイスコーレも、試験や成績といった評価はないし、答えのないことに向き合う禅問答みたいな場だと思います。デンマークに来たある禅僧の方は、「フォルケホイスコーレは、デンマークにとって禅寺みたいなものなんだね」と言っていました。

ーーほかにも、デンマークの中で禅的だなと感じる場面はありますか?

「物事を概念化しない」ということでしょうか。私は『禅マインド・ビギナーズ・マインド1,2』という本を中心に、著者の藤田一照さんより禅を学びました。そこでは、「物事は概念化した時点で死んだ経験になる」と言われています。

先のフォルケホイスコーレのほかにも、デンマーク発祥のユニークな教育方法がいくつかあります。けれども、それらは学びの手法が全て決められているような、いわゆるメソッドではありません。きっとデンマークの人たちは、メソッドとして概念化した途端、それが古い経験になると知っているのでしょう。だからこそ、いつでもアップデートや進化できる状態をつくっておく。

それから、「自分の物差しは、人が持っているものと尺が違う」ということも禅では言っています。自分の中にある尺度や価値観といったその物差しで、周りに合わないと言うのはナンセンスだと。デンマークの人たちも、自分の尺度で「それは無理じゃないの?」や、「そんなのおかしいんじゃない?」という言い方はしません。自分の物差しを一旦置いて人の話を聞き、受け止めることができると感じます。

ーーそれらのことは、前編冒頭の新しいことをはじめる時のエピソードにもつながりそうですね。

今すでにある概念や方法に縛られ過ぎず、いいとこ取りでよいのではないでしょうか。私自身は禅の道に進もうとは考えていませんが、もっと禅のことを知りたいし、実践したいと思っています。

それから、デンマークはアドラー心理学の「共同体感覚」のような考え方にも近いと感じます。ただおもしろいことに、禅もアドラー心理学もほとんどデンマークでは知られていません。それなのに、なぜそういう考え方をするようになったのか興味があります。ですから、それはこれからもっと、探求していきたいテーマです。

プロフィール:ニールセン北村朋子

Photography by Kazue Ishiyama
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Cultural Translator。デンマーク、ロラン島在住。ラーニングジャーニーやワークショップの企画、講演、執筆。食、東松島、再エネ、福祉、教育、民主主義、政治、スポーツと文化。Lollands Højskole理事。AIDA DESIGN LAB理事。著書に『ロラン島のエコ・チャレンジ~デンマーク発、自然エネルギー100%の島~』を上梓(発行/野草社・発売/新泉社)がある。

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Lollands Højskole https://www.lollandshojskole.dk/
デンマーク大使館「ニューノルディックキュイジーヌ」https://denmarkfood.jp/case/the-danish-creation-of-new-nordic-cuisine/

AUTHOR

大河内千晶

大河内千晶

1988年愛知県名古屋市生まれ。大学ではコンテンポラリーダンスを専攻。都内でファッションブランド、デザイン関連の展覧会を行う文化施設にておよそ10年勤務。のちに約1年デンマークに留学・滞在。帰国後は、子どもとアートに関わることを軸に活動中。



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