「退屈な人生だ」と悲観する前に見直すべきこと

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「退屈な人生だ」と悲観する前に見直すべきこと

SALLY KEMPTON
SALLY KEMPTON
2018-01-12

「自分の人生なんて、平凡で退屈だ」そんなふうに考える人は、ぜひこのコラムを読んでほしい。人生を変えるのは、決して難しいことではないのだ。

ヨガのコミュニティでよく耳にする「カルマ」。この言葉はしばしば、混乱と謎に包まれている。この興味深いテーマに引き寄せられるのには、もっともな理由がある。カルマは、ヨガと仏教両方の道における基本的な概念であり、その根底にある教えによって、人生のなかの多くのことを「理にかなったもの」にするものなのだ。私たちはカルマを理解することによって、逃れることのできない人間関係や仕事や経済的状況を、また、そこから生まれる心理パターンや習慣的行動を新しい観点から捉えることができる。
カルマは私たちを魅了する。そして惑わせる。カルマに対して、私たちはみな同じような疑問を持っている。このコラムでは、こういった疑問のうちのいくつかに、最善を尽くして答えていこうと思う。その前に、まずはヨガの立場から考えたカルマの基本的な原則を見ていこう。

カルマの法則とは?

サンスクリットの語源から訳されたカルマという言葉の意味は、単に「行為」だ。つまり、私たちが話したり、行ったり、考えたりすることだ。しかしながら、ヨガの伝統では、カルマという言葉を3通りに定義している。第1には、現在行っている行為として。第2には、過去の行為が現在の自分の性格や人生経験に与える影響として。第3には、西洋で「運命」と呼ばれているものとして。人生における何かが「私たちのカルマだ」と言うときに使っているのは、恐らくこの言葉の2番目の意味で、過去に蒔いた種の実りを現在受け取っている、という事実を指しているのだろう。
ヨガにおけるカルマの概念は、思考や行為には物事を変える力があり、世界は私たちの行為や思考によってつくられ、再生されるものだということを認めている。これが、行為には結果がある、という1番目のカルマの原則だ。ヨガの伝統のいうカルマの法則とは、つまるところ、原因と結果の法則のことで、聖書のなかの「人の蒔く所は、その刈る所とならん」という箴言のようなものだ。これは、私たちが理解しているかいないかにかかわらず、実際問題として重大なことである。すべての行為は結果を生むというカルマの法則は、私たちを変え、育て、進化させる。その意味で、これはあらゆる変化の背後にある力なのだ。

私たちは、さまざまな「連鎖」の中で生きている

すべては変化する。ヨガのコミュニティにいる私たちの多くは、カルマを自身の行為とその結果という、至って個人的な意味合いで捉えている。けれども、私たちはひとりで生きているわけではない。ヨガの伝統では、私たちは個人の選択からのみならず、今の時代や場所に集まるカルマや、地球そして宇宙に働く力からさえも影響を受ける存在だと考える。世界は、ある次元では物質とエネルギーが結びついてできたものである。しかし、これをカルマの結びつき――行為や意図、その結果が織りなすタペストリーとして見ることもできる。有名な例を挙げるなら、「香港の蝶の羽ばたきは、南大西洋の竜巻の発生に影響する」だ。2008年のウォールストリートの金融危機は、アルゼンチンの農民の生活に影響する。個人の人生経験は、全体と密接に絡み合っているのだ。

Translated by Yuko Altwasser
yoga Journal日本版Vol.24掲載

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