被災、離婚、病気…人生に絶望した澁谷るみ子さんが40代でアーユルヴェーダ医師免許を取得するまで

 被災、離婚、病気…人生に絶望した澁谷るみ子さんが40代でアーユルヴェーダ医師免許を取得するまで
中谷秋絵 あぬ
中谷秋絵
2025-04-02

アーユルヴェーダで毒を出し切ったら、運命も変わる」。そう話すのは、日本人では数少ないインド政府公認アーユルヴェーダ医師資格を持つ澁谷るみ子さんだ。 アーユルヴェーダとは5,000年の歴史があるインドの伝統医学で、肉体だけではなく精神まで体全体を整えるものだ。澁谷さんはインドの国立大学を卒業し、アーユルヴェーダ医師免許を取得。薬草やオイルで心身を治療する「パンチャカルマツアー」を毎年開催している。約3週間におよぶインド滞在ツアーだが、毎回キャンセル待ちが出るほどの人気で、過去にリウマチやがんが治った人もいる。

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アーユルヴェーダ講師としても人気の澁谷さんだが、インドで医師免許を取得するまでに、人生に絶望する出来事に遭い、噴火被災で家を失い、離婚を経験。インドでは過酷な環境下で病気になり、体重が30キロ台まで落ち込むなど数々の困難を経験してきた。

澁谷さんはどうやって苦しい状況を乗り越えてきたのか?そして、アーユルヴェーダの持つ力とは何なのか?インド現地にて、ツアーの様子を含めて取材した。

人生に絶望し、社会に怒りを抱えて生きていた

兵庫県出身の澁谷さんは、タケノコや山椒、よもぎなどが取れる自然豊かな環境で育った。もともとガリガリの虚弱体質で、よく発熱や下痢をしていた渋谷さんに、祖母が薬草を煎じて飲ませてくれた。さらに、庭で育てたアロエのジュースを毎日飲むことで、次第に丈夫になっていったという。自分でも庭で植物を育て、幼少期から植物・薬草に慣れ親しんできた。

当時の澁谷さんの夢は小学校の先生になること。短大に入り、教育実習も終え、先生になろうとしていたところ、事件は起きた。見知らぬ車にさらわれ暴行を受けてしまう。

「親にも誰にも言えず、もう絶望というか……。それ以来、女性として生まれたことや世の中の理不尽さに対してずっと怒りを抱えて生きていました。自分の人生にも絶望してしまって、学校の先生になることも諦めてしまいました」

澁谷さん

 

その後、澁谷さんは証券会社に入社。時代はバブル期で、ボーナスは給料の9.8倍だった。さらに、澁谷さんは妙に勘が鋭く、お客さんの株がバンバン当たったという。

「でも、私は人生に絶望しているし、世間をなめていたというか、怖いものなしだったんです。そういう態度を上司が感じ取ったのか、先輩を差し置いて女性チームのリーダーに抜擢されて、めちゃくちゃ働きました」

ノルマが課せられ、数字を達成するまで夜中の2、3時まで帰れないような多忙な日々。

しかし、その後バブルが崩壊。世の中は混乱し、カウンターで対応していた澁谷さんは飛び降り自殺を目撃してしまう。ふと「私がやりたかったのはこれだったっけ」と思いを巡らせた。そんなとき、発作を起こして失神してしまう。こうして、3年勤めた会社を退職した。

噴火被災がアーユルヴェーダに結びつく

その後、「世界を見てみたい」という思いから添乗員に転身。そして、添乗先のオーストラリアで出会った男性と結婚し、移住した。

しかし、結婚しても澁谷さんの絶望感はなくならなかった。そんなとき、インドのある聖者の写真を目にする。

「写真を見た瞬間、涙が止まらなくなってしまって。『私はこの人に会いに行かなきゃいけない』って、なぜか強く思ったんです」

こうして、聖者に会うためにはじめてインドに渡航。運よく目の前で対面でき、魂が震えるような感覚で涙があふれ、「私がやりたかったのは、ここにある」と直感した。

それ以来、澁谷さんは度々インドに通うようになり、インド哲学にのめり込んでいく。インド哲学を学ぶうちにアーユルヴェーダにも慣れ親しんでいったが、このときはまだ「医学だし、自分の手に負えるものじゃない」と感じていたという。

インド滞在中の澁谷さん。結婚式に参加したときの様子(写真提供:澁谷るみ子さん)
インド滞在中の澁谷さん。結婚式に参加したときの様子(写真提供:澁谷るみ子さん)
 

その後、北海道に居を移した澁谷さんだが、2000年に有珠山が噴火。住んでいた場所は危険区域に指定され、避難所暮らしを余儀なくされる。

1年後、一時的に帰宅許可が出たため家の様子を見に行った。噴火から1年経っていたが、まだ熱気と蒸気でジュージューと音を立てているような状態だった。

「まるで熱帯雨林のような雰囲気でした。運よく家は残っていて、ドアを開けたら一面ジャングルのようになっていて。以前育てていた植物が、生き生きと成長していたんです。それを見た瞬間に、『創造・維持・破壊とはこういうことか。私がやりたいアーユルヴェーダはこれだ!』と強く思いました」

植物は人間のように噴火を悲しむわけではなく、破壊のエネルギーを喜び、緑を広げていた。破壊は悪いことではなく、むしろ創造につながるエネルギーを生み出すもの。

噴火後の植物を見て、インド哲学やアーユルヴェーダで説かれていることがすべて澁谷さんの中でつながった。このときに、「生涯かけてアーユルヴェーダをやろう」と決意する。

健康もお金も失った後に見えたもの

インドの大学を調べると、アーユルヴェーダを学べるグジャラート州の国立大学が、ちょうど外国人を受け入れ始めたばかりだとわかった。しかし、夫も含めて周りは大反対。噴火で被災し、家もお金もない状況に加えて、この頃夫の不倫が発覚し、離婚することに。

「ちょうど噴火の義援金が出て、現金100万円とスーツケース1つだけ持ってインドに行ったんです。家族にも誰にも告げずに、日本を去りました」

澁谷さんが学んだグジャラート州にあるインド国立アーユルヴェーダ医学大学
澁谷さんが学んだグジャラート州にあるインド国立アーユルヴェーダ医学大学(写真提供:澁谷るみ子さん)
 

当時34歳で、家をなくし、離婚し、資金も十分ではない中での再スタート。5年半の留学期間に100万円では足りないことはわかっていたが、それよりもインドで学べることにワクワクしていた。資金面はインドに行ってから対策を考えようと思っていた。

ところが、当時のインドの水事情はあまりにも悪く、蛇口をひねるとボウフラだらけの赤い水が出てくる。そんな環境下で、澁谷さんは赤痢や大腸炎を繰り返し、発熱が数か月続き、最後には喘息になり、体重は32キロにまで減少。ついにお金も底をつき、動けなくなってしまった。部屋に鍵をかけてベッドに横たわり、「これで終わるんだ」と思ったという。

そんな様子を見た1人の先生が「奨学金を取りなさい」と、澁谷さんに告げる。しかし、奨学金とは本来、入学前に取るものだ。

「すでに入学から1年ほど経っていたので、そんなの無理だと言ったんです。でも、先生が『インドはいい加減なんだぞ。やってみなさい』と言うんですよ(笑)」

そして、その先生の言葉通り奨学金が通ってしまった。しかも、学費と生活費もカバーされ、なおかつ返金不要の奨学金だった。

インド留学中の澁谷さん(写真提供:澁谷るみ子さん)
インド留学中の澁谷さん(写真提供:澁谷るみ子さん)


家も健康もお金も、何もかも失った澁谷さんだが、すべてを手放したことで、逆に本来の望みが叶ったのだという。

「人生とは、持つことではなく手放すことが課題だと思います。何もなくなったところに、自動的に入ってくる。アーユルヴェーダも同じ考えで、一度体をきれいに浄化するから、栄養が入るんです。持っていたものを手放して、自分本来の魂が輝き始めることで、自分の望みが自動的に叶っていくんです」

感情に振り回されるのは、“毒”が原因 

澁谷さんは在学中に、はじめて約3週間のパンチャカルマを受けた。パンチャカルマとは体にたまった毒をオイルや薬草で1か所に集めてから体外に排出させることで心身を浄化するもの。澁谷さんは「心身の洗濯」だと表現する。

治療に使うベッド(後述のメーガダーラ病院にて)
治療に使うベッド(後述のメーガダーラ病院にて)
 

病気になり、やせ衰えていた澁谷さんはパンチャカルマを受けている間に、怒りのエネルギーがたまっていくのを感じたという。普段は温厚で滅多に怒ることはない澁谷さんだが、治療の際は同級生と肩がぶつかっただけで「屋上に来い!」と怒り散らし、先生の前で椅子を蹴とばして抵抗し、今までに見たことのないような姿を見せた。

そんな中、治療の最後にたまりにたまった毒がすべて排出されると、嘘のように幸せな気分になり、鼻歌をうたいながら夕食を食べていた。これを機に体調も回復する。

「あの怒りは、体に張り付いた“毒”が原因だったんだと気づきました。感情や思考のクセはその人に原因があるのではなく、みんな毒に振り回されているだけなんです」

毒を出し切ることで健康になり、幸福感がやってくる。澁谷さんは「人は、健康なだけでは幸せにはなれない」と語る。

健康になった上で、その先に幸福がある。つまり、幸福になるためには医学だけでは不十分だとアーユルヴェーダは説く。医学と哲学が融合した生命科学であるアーユルヴェーダだからこそ、健康になるだけではなく、その先にある幸福が実現する。

5年半のインド生活で得たもの

インド留学中の澁谷さん(写真提供:澁谷るみ子さん)
インド留学中の澁谷さん(写真提供:澁谷るみ子さん)

澁谷さんは自身の人生が変わった要因として、パンチャカルマに加えて、「インドで5年半暮らしたこと」を挙げる。

たった1人でインドに来て、頼れる人もいない圧倒的な孤独。日本では家族や友だちがいることで、なんとなくごまかせてしまうが、知り合いのいないインドではそうもいかない。孤独の中で、自分と向き合う時間がたっぷりあった。

「当時はスマホもなく、お金も仕事もないただの学生。インドの暮らしはどうにもならないことも多く、ボウフラだらけのシャワーも浴びなければいけなかった。孤独の中、諦めてすべてを受け入れることで、自分の人生を生きる覚悟ができたのかなと思います」

インド留学中、治療を行う様子(写真提供:澁谷るみ子さん)
インド留学中、治療を行う様子(写真提供:澁谷るみ子さん)
 

さらに当時、外国人は珍しい存在で、街を歩いていても「チニー(中国人)」と言われ、子どもたちに石を投げられることもあった。毎日、通学路で出くわす悪ガキたちに、ついに澁谷さんは叫びながら大きな石を投げて反撃する。

「子どもだけではなく、インドの授業にも先生にも、どうにもならない状況にムカついていました(笑)そして、当時35歳くらいで、あんなに声をあげて怒りまくるなんて、日本ではなかなかない状況だと思います。いつも必死でしたが、それもなんだか楽しくて。日本だと隠れていた自分の本性が出てきたというか、感情をとことん出すと、素でいられるような感じがしました」

インドの生活も悪いことばかりではなく、いつも助けてくれるやさしい同級生もいた。学校の行き帰りをボディーガードのように守ってくれたり、勉強を教えてくれたりする同級生。その1人が、現在一緒に仕事をしているメフール先生だ。

メーガダーラ・アーユルヴェーダ&パンチャカルマ病院を運営するメフール(Mehul Barai)先生。澁谷さんのかつての同級生で、当時からとてもやさしかったという
メーガダーラ・アーユルヴェーダ&パンチャカルマ病院を運営するメフール(Mehul Barai)先生。澁谷さんのかつての同級生で、当時からとてもやさしかったという

こうして、澁谷さんは40歳を超えてからアーユルヴェーダ医師免許を取得し、日本に帰ってきた。

【プロフィール】澁谷るみ子さん

澁谷さん

株式会社スヴァルナアーユルヴェーダ代表取締役

兵庫県出身。2001年よりインド国立アーユルヴェーダ医学大学で学び、インド政府公認アーユルヴェーダ医師免許(B.A.M.S.)を取得。日本で唯一、アーユルヴェーダ医師免許と鍼灸師の免許を持つ。アーユルヴェーダ講座や講演会、セラピスト育成に加え、インドへのパンチャカルマツアーを毎年開催し、さまざまな難病治療や若返り療法に取り組んでいる。また、但馬地方にある国有形登録文化財の生家では、アーユルヴェーダ薬草研究所(通称「あゆらぼ」)として宿泊型の治療も行っている。

公式サイト:https://svarnaayurveda.jp/
Instagram:https://www.instagram.com/rumiko_ayurveda/?hl=ja

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インド滞在中の澁谷さん。結婚式に参加したときの様子(写真提供:澁谷るみ子さん)
澁谷さんが学んだグジャラート州にあるインド国立アーユルヴェーダ医学大学
インド留学中の澁谷さん(写真提供:澁谷るみ子さん)
治療に使うベッド(後述のメーガダーラ病院にて)
インド留学中の澁谷さん(写真提供:澁谷るみ子さん)
インド留学中、治療を行う様子(写真提供:澁谷るみ子さん)
メーガダーラ・アーユルヴェーダ&パンチャカルマ病院を運営するメフール(Mehul Barai)先生。澁谷さんのかつての同級生で、当時からとてもやさしかったという
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