“生まれながらのヒッピー”シャロム・ハーロウが問いかける、真のサステナビリティ
バックステージでは、いつもスニーカー&ジーンズ、ノーメイクのナチュラルルックで、アンチ・スーパーモデルスタイルを体現していたモデルのシャロム・ハーロウ。“生まれながらのヒッピー”と語る現在48歳の彼女は、西海岸の静かな町で心と身体によりサステナブルな生活を送っている。
「子供の頃から私は、カナダのコテージで夏を過ごし、野生動物ようにずっと裸足で歩き回っていました。いつも自然の中で過ごしてききたから、カジュアルな格好が大好きなんです」。
2020年、米メディア「InStyle」にこう語ったのは、90年代に一斉を風靡したスーパーモデル、シャロム・ハーロウだ。1973年12月にカナダ・オンタリオ州で生まれ育った彼女は、現在48歳。1989年、15歳の時にトロントで開催されたロックコンサートでスカウトされ、ケイト・モス、アンバー・ヴァレッタらと並ぶ90年代アンチ・スーパーモデルムーブメントの顔となった。
バレエで磨き上げたその表現力と落ち着いた雰囲気で、デザイナーの求める女性像を完璧に演じてきた彼女は、ラグジュアリーメゾンのミューズとなる一方、各国のメディアで世界中を魅了した。
「デビューしてから、自分の人生のすべてを捧げました。動物的な勘が鋭かったので、アーティストが何を私に求めているのかがよく分かりました。彼らと作り上げたダイナミックな作品は、どれも私の宝物です」。
こう語るシャロムだが、昔の自分を振り返ってこう笑い飛ばす。
「すごく生意気だった。本当に(笑)。ファッション業界は、私が生まれ育った環境とは全くかけ離れた世界でした。労働者階級出身の私が、カメラの前でポーズを取るだけで、一夜にして世界中から注目されたのですから。経済面では、子供時代にはなかった安定感を得ることができた。これは、本当に良かったと思っています」。
そんな彼女は、デビュー当時からサステナビリティの大切さを説き、「ランコム」との植林プログラムやグリーンファッションショーを開催するなど、環境保護活動を重視するブランドとの絆を深めてきた。
「衛生用品も洗って再利用できるものを使用していました。でも当時は、そのことを話すとみんな『えー!』と顔をしかめていました(笑)。仕事でも移動も飛行機だったので、カーボンオフセットの購入もしていました」。
成功と引き換えに
しかし成功の裏で、急にトップモデルに躍り出たことで、心身共に疲弊し、肌は撮影にも支障をきたすほど荒れ、身体の不調に苛まれるようになったという。
「でも、仕事は断れないし、この業界が私に休むことを許してくれなかった。著名なアーティストの仕事は素敵だったけど、その代償はあまりにも大きいものでした」。
こうした過酷な環境を改善するため、当時彼女はモデル・アライアンスを立ち上げ、未成年のモデルたちの権利を守るための取り組みを始めた。当時は現在と違い、誰も声をあげることができなかったからだ。
「高価なハイファッションに身を包んでいても、私たちの中身はティーンの女の子。どんなに強がっても、声を上げることはできなかった。当時SNSがあったら、もっと事態は変わっていたかもしれませんね」。
2000年から1年間休養し、断続的にモデル業を続けていたシャロム。しかし、健康問題は悪化し、ついにはライム病罹患を公表したことで、2013年についに完全休止した。
「実は寝たきりになり、一時は移動に車椅子が必要になったこともありました。このような慢性疾患は、神経も衰弱させます。その後複雑なPTSDを併発した私は、時折激しい感情の波に飲まれるようになり、精神的に不安定な状態になりました」。
そこで、治療を兼ねてアメリカ・西海岸の穏やかな町に移住。これまで多忙を理由にずっと向き合わずにいた自分自身と向き合うため、ヒーリングアート等を介して心身のリハビリに励んだという。
再びランウェイへ
そんな彼女は2018 年、突然自身のインスタグラムに「戻ってこられてよかった」とメッセージを投稿し、ヴェルサーチェのランウェイでファッション界にカムバックを果たして世界中の注目を集めた。
「ストッキングを履いているときは滑らないように小さめの靴を選ぶとか、そういう小技を忘れてたから大変(笑)ふらふらでしたが、私にとっては大きな意味のあること。一時はもう歩くことはできないと思っていたのですから。現在は、自分の心と身体と相談しながら、慎重に仕事を選んでいます。実を言うと、まだ本調子ではないので、毎週飛行機で移動することは正直身体に堪える。それに、二酸化炭素排出量を考えると、飛行機を使うのは環境的にも持続可能な手段ではないですしね」。
ファッション業界のスタンダードが大きく変化し、セルフケアやサステナビリティが大きな関心事となっている昨今。それに先駆け、多角的に取り組んできたシャロムは、最後にこう語った。
「私が先駆けなんてとんでもない(笑)。でも、最近ようやく世界と自分のリズムが合うようになったと感じています。それと私個人的には今後のファッション業界はもっとローカル色豊かである方が良いと思っています。ジェット機で移動する必要のない、もっと地域に根ざしたものであるべきだと。世界中どこにでも、才能ある人はたくさんいるのですから」。
AUTHOR
横山正美
ビューティエディター/ライター/翻訳。「流行通信」の美容編集を経てフリーに。外資系化粧品会社の翻訳を手がける傍ら、「VOGUE JAPAN」等でビューティー記事や海外セレブリティの社会問題への取り組みに関するインタビュー記事等を執筆中。
- SHARE:
- X(旧twitter)
- LINE
- noteで書く