【薬物中毒、母の死、事故による片脚切断…】ヨガに出会い「僕から自信を奪ったもの」を許せるまで

 【薬物中毒、母の死、事故による片脚切断…】ヨガに出会い「僕から自信を奪ったもの」を許せるまで
Robert Sturman

ひざ上で脚を切断した彼は、許しの心とヨガとともに全力で日々を生きている。

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5月下旬の爽やかな午後、スティーブン・メディロスはカリフォルニア州バークレーにあるボルダリングで人気の高いインディアン・ロック・パークの岩だらけの頂上に立ち、サンフランシスコ・ベイエリアのスカイラインを見渡していた。 デニムジャケットを肩にかけ、顔に風を受ける42歳の彼は、UCバークレーの学生というよりも映画の登場人物やGQ誌の表紙モデルのようだった。25歳の時にバイクの事故で左脚を失ったメディロスは、夏にハワイで開催される米国自由人権協会のスマート・ジャスティス・キャンペーン運動(刑務所の収容人数の削減と、検察の説明責任を求める全国的な刑事司法への取り組み)に従事するために、数週間後にはホノルルに向かう。警察の説明責任と刑務所改革を擁護するアクティビストとして、メディロスは国内ランキング上位のUCバークレーのゴールドマン公共政策大学院で学びながら修士号取得を目指し、現状のシステムや構造の見直しを支援することにより、内側から変化をおこそうとしている。

スティーブンがどのように複雑性トラウマから回復したのか、YJのポットキャスト「The Yoga Show」で聴いてみよう。

Robert Sturman
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ラテン系とハワイアンの血をひくメディロスは、有色人種や貧困層の人々に対するアメリカの刑事司法制度の圧政や不当な扱いを目にし、実際に経験もしている。人種的に多様なベイエリアのフリーモントで育ちながら、幼い頃から地元警察によるハラスメントにさらされてきた。シングルマザーで薬物中毒だった母親は、彼がわずか4歳の時に麻薬犯罪で投獄された。父親とは縁を切っていたため、彼は父方の祖父母のもとで育てられた。 その8年後、母は刑務所から出所してすぐに殺されてしまった。イースト・オークランドのファストフードレストランでの仕事帰りにトラックにはねられたのだった。事件は未解決のままだが、母がトラックに追いかけられてたという目撃証言もあり、意図的な犯行とみられている。思春期を迎えていたメディロスへの影響は計り知れなかった。「それからの9年間は、あらゆる悪事に手を染めながら、トラブルメーカーやギャング、家庭崩壊で似たような境遇にいる仲間と付き合っていた」と彼は言う。

その当時の法執行機関の対応が、彼を今のキャリアへと導くきっかけになった。彼が21歳の時、パトロールによる職務質問を受けた際に警察官からタイヤレバーで暴行されたのだ。 22歳の時は、酒を一滴も飲んでいないにもかかわらず「ダウンタウンの黒人」という人種主義的なレッテルで、公然酩酊罪で逮捕された。「そのとき初めて、自分は弱者で無力だと思い知ったんだ」と彼は言う。

あれから20年、彼は他の人々に自分と同じ思いをさせたくないという決意で政策大学院に通いながら、警察と検察の説明責任、大量投獄、前科や犯罪歴のある人々の社会復帰問題に情熱を傾けている。大学院に入る前も北カリフォルニアの米国自由人権協会の組織部門でプログラムコーディネーターを務め、現在はアラメダ郡の郡政委員として地元の囚人たちの社会復帰後の問題改善に取り組んでいる。

Winni Wintermeyer
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問題児からチェンジメーカーへ

許しの心と家族の存在は、メディロスが少年時代のトラウマから回復するための柱になっている。彼は23歳の娘デスティニーを何より優先し、優しさと愛を惜しみなく注いでいる。デスティニーは父と一緒にプライド・パレードやブラック・ライブズ・マター抗議運動にも参加した。志を同じくする二人は政治的意見やアクティビストとしての思いを共有し、週末には、よくサンフランシスコのレストランを訪れたり、アウトドアを楽しんでいる。メディロスは彼の人生を変えるカギとなった寛容さと「欠点に縛られない」という価値観をデスティニーにも身に着けてほしいと願っている。

それほど遠くない昔、彼は家族に悪影響を及ぼす存在として見られていたが、今では周囲の人々の手本となるまでに成長した。「自分の立場や信念、価値観を堂々と見せる彼の姿に、自信と誇りを持って生きる勇気をもらいました」と、いとこのソフィア・デンジャーフィールドは言う。彼女は二人の娘が偏見を持たない人間に育つように彼が手を差し伸べてくれたことに感謝している。

「僕はいつも人から「私が知る限りあなたは最も公平な人だ」と言われる。それは、最も公平に扱われるべきなのに、そうされない人々、つまり有色人種や女性やLGBTQの人々に対して、という意味だ」と彼は言う。チェンジメーカーになるのは簡単ではない。でもくじけそうになると、ヨガの癒しの力が彼を後押ししてくれる。「僕は「イークァニミティ」という言葉が好きだ。混沌の中で心の平静を得るという意味なんだ」と彼は言う。

彼は他にも情熱をかきたてたり、心を穏やかにするものについて語ってくれた。警察と刑務所の改革、誰もができるヨガ練習、命に関わるケガからの回復など、その内容を紹介しよう。

Winni Wintermeyer
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ヨガとの出会い

18から22歳までの間、僕はまさに底辺にいた。何度も人生を変えようとしたけれど、問題にただ対処するだけで、その根底にあるものを見ていなかった。トラブルメーカーたちとの付き合いをやめ、定職につき、酒とパーティーをやめても、まだ怒り、傷ついていた。子どもの頃のトラウマに向き合っていなかったんだ。本好きな僕は、足繁く本屋に通い、やがて一冊のヨガ本に出会った。それまでヨガについては全く知らなかったけれど、読んでみたらすごく面白かった。そこで家で独学を始めた。難しかったけれど、ヨガの虜になった。元々僕は運動が好きで、以前は競技スポーツや空手を練習していたけれど、ヨガは全く違う挑戦だった。まず、長い間感覚が鈍っていたと気づいた。生きている実感がなかったんだ。でもヨガを練習するたびに体調がよくなるんだ。僕が取り組んでいる問題、特に最近の出来事と向き合っていると、肉体的に下半身やあご、肩などに影響が出てくる。ヨガを練習するとその緊張がゆるむんだ。必ずね。

許しの心

母の死は僕の人生に大きな影響を与えた。僕は自分の価値について考え始めた。僕も両親のようになる運命なんだろうか?と。 10代の頃は人生で何を選択し、何になりたいのかまだ思い描けなかった。母の死後、僕は手に負えない状況に陥った。

学校やスポーツへの興味もすべて失った。

ドラッグや酒に手を出し、地元のギャングとつるむようになった。まさにお先真っ暗という感じだった。22歳の時、疲れ果てた僕は心から変わりたいと思い、解決を求めて自分の内面を探り始めた。

すると、両親を許さなくてはならない、というメッセージが浮かんだんだ。

そこで僕は、二人を心から許した。その途端、自分が新しい人間に生まれ変わった気がした。過去が気にならなくなったんだ。両親がしたことや、しなかったことだけでなく、トラウマの原因となった人々や、母を殺した人間たちも許せたんだ。それまでの僕はものすごい怒りを抱えていて、それを問題行動で発散していた。でも許すと決めた途端に、怒りが完全に消えて、他のことに意識が向くようになったんだ。僕は次から次へと本を読み、自己啓発や、内省、自己発見の道に傾倒していった。人として、そして父親としての自分自身や自己成長の邪魔になるものはすべて脇に追いやることにした。家族との関係も取り戻した。若い頃はストリートが家族になっていた。ストリートでは、そこにいる仲間がすべてだと思うが、実際はそうではない。

いま僕は若者たちと話し、どんなに過ちを犯しても君たちは尊いんだと伝えている。過去の行為のせいで、自分にはまともな未来はないと僕らは考えてしまう。でも僕は過去に囚われないと決めたんだ。過ちを犯しても、自分には愛にあふれた人生を送る価値があるのだと。そのためには自分自身のことも許す必要があった。それから僕は、自分や他人の新たな面を見出しながら、今を自由に生きられるようになった。

Winni Wintermeyer
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脚を失ったこと

僕は18歳まで生きられるとは思っていなかった。それから僕は善行をしていて、懸命に取り組んでいた。やりがいを感じていたからだ。そんな時に事故が起きた。二度と娘に会えないかもしれないと思うと、怖くてパニックになりそうだった。自分が生き延びられるかわからなかった。その後、数回の手術を受けて、ようやく希望が見えてくると、この先どんな人生が待っているのかと考え始めた。当時は歩く時の生態力学を学ぶためだけにテレビを観ていた。またゼロから歩き方をおぼえる必要があったからだ。誰もが持つような感情や疑問もわいてきた。今の自分を愛してくれる人に出会えるのか? セックスはどうなるんだろう? どうやって動き回ったり、日常的なことをすればいいのか? 大学には行ける? 卒業はできるのか? それでも生きているだけで幸運なことは十分にわかっていた。脳に損傷はなかったし、若いから、まだできることはいろいろある、と。

僕は新たな視点でものごとを見られるようになった。喜びが内側からあふれてきて、オーラのように自分の周りで輝いている感覚があった。人に言わなくても、相手が気づくほどそれは明らかだった。まるで磁石のように人々が僕に寄って来るんだ。どこに行ってもみんなが触れてきて「あなたは素晴らしい」とか 「すぐに結婚したい」と優しい言葉をかけてくれる。僕はいつも満面の笑顔だったよ。呼吸していることがただ嬉しかった。

脚を失ってから1年が過ぎた頃、僕は学校に通い始めた。昔も良い生徒だったけれど、さらに良い生徒になった。人生には限りがあると身をもって知ったことで、何を優先すべきかを考えるようになった。ものごとは、ほんの一瞬で変わる可能性がある。だからこそ時間の使い方を常に意識するようになった。

Winni Wintermeyer
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自分のための練習

脚を失った後は、もうヨガができないかもしれないと不安だった。もちろん前と同じ練習はできないので、やり方を変える必要があった。リストラティブヨガは僕にぴったりだった。練習を始めた頃は、すべて完璧にやらなければと思っていたけれど、それは間違いだ。今はありとあらゆる特徴や体型、能力を持つ人たちがヨガを練習している。僕の練習は他の人のように優雅に見えないかもしれないし、全く違うかもしれない。それでもいいんだ。僕の練習は僕のためのものだから。

司法制度に関わる仕事について

僕は警察から嫌がらせを受ける地域で育った。それでも警察を指揮する人間と一緒に働かねばならない。その葛藤をコントロールしながら仕事をしている。誰かがやらなきゃいけないんだ。僕がやらないなら、誰がやる? そんな風に常に自分と綱引きをしている。僕は弱者側の人間だからね。

ある時、僕は大学教授の一人にこう言ったんた。「市がホームレスシェルターを取り壊したので、ハワイ市長のために働くポジションは断りました。教授は僕たちを政府期間で働くように促すけれど、自分の価値観に反するものと手を組むなんて無理です」すると教授はこう言ったんだ。「でも、あなたがやらなくて誰がやるの? 賢くなりなさい。問題に情熱的に取り組める人こそ、その役割を担うべきなの」

Winni Wintermeyer
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出所後の社会復帰問題について

僕が育った地域では、警察の取り締まりや収監が過剰に行われていた。僕の母も収監されたし、弟も過去11年の間、刑務所を出入りしていた。叔父は人生の半分を刑務所で過ごした。今の社会と刑事司法制度では、人々が法律を破って有罪判決を受けると、自治体や連邦政府の刑務所に収容され、出所したら、また地域に戻って仕事をするように期待される。だがこれにはあらゆる障壁があって、彼らの社会復帰を難しくしている。たとえば、重罪の判決を受けた人はなかなか仕事に就けない。住居探しも深刻な問題だ。出所しても犯罪歴のせいで住む家が見つからない、あるいは借りる資格が得られない。そうなるように、社会のシステムが意図的に作られているんだ。

警察と刑務所の変革

このシステムは特定のグループの権利を剥奪するように作られていて、その狙い通りに機能している。だから人々が「修正が必要だ」と言うと、僕は、何を修正するのか?と尋ねるんだ。システムは意図された通りに機能しているのだから、修正ではなくシステム自体をなくして、一人一人が新たに作り直す心づもりが必要だ。僕はビジョナリーではない。

変化を起こす仕事をしたいけれど、この国に警察や刑務所がなかったらどうなるかについては、ビジョナリーたちに聞く必要がある。ほとんどの人はその推測ができないからだ。だけど僕たちには常に警察や刑務所が必要なわけじゃない。なくても社会の調和は保たれる。確かにアメリカ社会は独特だ。多様な文化や信念体系のせいで変化を起こしづらいけれど、決してそれは不可能ではない。

Winni Wintermeyer
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自分の身体に自信を持つ

僕は17年前に事故にあって以来、過去数年を除いて絶対に短パンを履くことはなかった。義足を見せるのがすごく嫌だったからだ。人に見られると、彼らが何を言うのか、何を思うのか、気が気でなかった。でもハワイを訪れた時は平気だったんだ。短パンを履いても周りの目が気にならなかった。でもここベイエリアではそれができなかった。不安を克服したくても、その方法がわからなかった。何年もの間、僕は親しい人たちとそれについて話をしながら、不安を克服するストーリーを頭の中で描いていた。

ある日僕は、短パンを履いてベイエリアでハイキングに出かけてみた。トレイルには誰もいなかった。その後はバークレーのダウンタウンに向かい、昼食をとることにした。僕はスウェットパンツに履き替えずに、短パンのままでレストランに行くことにした。予想通り人から見られたし、子どもたちは何かを言っていたけれど、自然なことだと思えたし、あまり気にならなかった。それは頭の中でずっと思い描いていた待ちに待った瞬間だった。それからは、どこにいくにも短パンを履くようになり、気持ちがどんどん楽になった。むしろ今は短パンでいる方が好きだ。かつて僕から自信を奪ったものから、今は力をもらっている。

ヨガジャーナルアメリカ版/「Criminal Justice Advocate and Yogi Steven Medeiros is Taking Life's Challenges in Stride

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By Lindsay Tucker
Translation by Sachiko Matsunami

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ヨガジャーナルアメリカ版

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全米で発行部数35万部を超える世界No.1のヨガ&ライフスタイル誌。「ヨガの歴史と伝統に敬意を払い、最新の科学的知識に基づいた上質な記事を提供する」という理念のもと、1975年にサンフランシスコで創刊。以来一貫してヨガによる心身の健康と幸せな生き方を提案し続けている。



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