「女子」という言葉に違和感を覚えるオトナの私が「女子会」を常用する理由【連載 #発酵適齢期】


33回目の『発酵適齢期』、テーマは「女子」です。
こんにちは。ライターの高木沙織です。
「女子」とは、読んで字のごとく女の子のこと。そして、子ではない女の人のことは女性というのが一般的。40代の私が女子でないのは、火を見るよりも明らかです。しかしながら、我々は女子を頭やお尻につけた新語の数々に囲まれて、さらにはそれを平然と使いながら生きています。はたしてこれは、由々しき事態なのか。
33回目の『発酵適齢期』、今回は「女子」について。
「そもそも何歳までが女子なのか?」問題
「年齢を重ねた女の人が女子って、どうなの?」とは、誰かに直接言われたわけではありません。そもそも、こんな発言をしてしまった日には自分で自分の首を絞めることになりかねない…。
「女子」という言葉は、ちょっとした取り扱い注意案件になりつつあります。
その一方で、「女子」を前面に押し出した新語が続々と生まれているのも事実。代表的なのは、2008年あたりにメディアで取り上げられ、今ではすっかり常用されるようになった「女子会」。ほかにも女子力や女子トーク、女子旅、女子的に…など、世の中には女子◯◯がたくさん。
「女子」ではなくなった女の人が、意思に反して「女子」という言葉を使わなくてはならないシーンもあるってことです。実は私、わりと最近まで「女子」という言葉を意識的に避けていました。その背景には、「明らかに女の子ではない自分が、女子だなんて…おこがましい」という気持ちや、まわりからどう見られるのだろうという不安があったからです。
では、何歳までが女子なのか―?
いろいろなネット記事に目を通してみた結果、どうやら20代前半までとか、成人するまでというのが世間の声のよう。これには納得、偏った私見ですが「〇〇女子大学」の「女子」がベースになっています。そこを卒業するであろうとされる年齢までは、堂々と女子を名乗って然るべきという考えが自分のなかに根づいているみたい。
成人年齢に関していうと、2022年から18歳に引き下げられたこともあり、それによって「女子」の年齢まで引き下げられることに頭が追いついていないというのが正直なところです。
話しは少し遡りますが、2015年にフジテレビ系ドラマ『オトナ女子』が放送されました。主人公は40歳の女性で、当時の私は32歳。オトナというには十分に成熟しきれていないし、女子という年齢の枠からは外れていると自覚していた私は、オトナなのか「女子」なのか時空の歪み的な何かを感じざるを得なかったのが率直な感想。それからというもの、「女子」という言葉の自由さを感じていながらも、できるだけ使わないようにしてきたのです―。
「女子会」に引け目を感じる必要なし!
さて「女子」という言葉を積極的に使わないようになって9年経った最近の私ですが、「女子会」には一目置いていることが判明しました。

というのも、これまた単純な私は「女子会」というカジュアルな響きが好き。気の置けない数少なすぎる友人たちから「女子会しよう!」とグループLINEが送られてくると、待ってましたとばかりに「行く!」と即答。集まる理由やテーマなんて何だっていい、ざっくばらんにあちこちに脱線しながら、お腹がよじれるくらい笑って過ごせるのは「女子会」くらいのものです。
それが「女性会」だなんて言われてしまった日には、“本日の議題は~”的な堅苦しさこの上ありません。理由をつけて断る可能性も大です。
またありがたいことに、世には「女子会プラン」が溢れています。パソコンデスク越しに見るいつもの風景とはかけ離れたきらびやかなお店で、素敵なひとときを過ごす非日常体験もいい。
それともうひとつ、「女子会」というカジュアルな響きの裏側で私はある種の経済活動をしています。例えば、アフタヌーンティーやお酒が入るプランの相場はお店にもよるけれどだいたい5,000円からです。気分の高鳴りに合わせて、メイクやファッションにも旬のものを何かしら取り入れたいところ。デパコスのリップグロスは4,000円、秋冬っぽい感じのトップスは12,000円くらいでしょうか。
髪が伸びて根元が黒くなっていたり、パサつきやうねりが気になったりしたら美容院に行くかもしれません。カットとカラー、トリートメントをしたら20,000円はかかります。
少々気合いを入れすぎでは?と思うかもしれないけれど、アラフォー・独身・彼氏なしの私の場合、同性の友人と会うときが唯一の頑張りどころなのです。ライフスタイルのシーンは違えど、細かなところにまで気づく女性の集まりが一番気合いが入るなんて人は多いのではないでしょうか。
このようにして、私たちは女子会(ほかの女子〇〇も含む)で少なからず経済をまわしています。そう思えば、引け目なんて感じなくて結構というのが持論です。
つい先日、ひとりで北鎌倉に行ってきました。情緒ある和食店でランチをし、お寺やお庭を散策した後、レトロな雰囲気がとっても素敵な喫茶店に入ると近くの席に座っていた女性客が「今日の女子会、楽しかったわね」と話しているではありませんか。
失礼のないようにチラッと視線を向けると、背筋が伸びた所作の美しい女性が4人。時折聞こえてくる会話からも知性と品格、そして可憐さのようなものが感じられ、素敵だなと思いました。私もいつかこんな女子会ができるようになりたい、かたやこちらはひとりですが組んでいた脚を解放して、スッと姿勢を正したのは言うまでもありません。
私たち大人の女性が自分が「女子」ではないことを重々承知していながら、それでもその言葉を使うのは、仕事で担う重責や家庭でのあれこれ、ホルモンバランスでどうにもままならない心と体…そんな日常から切り離されて、ただ女の子の気持ちで過ごしたいから―だったりもします。
そう考えると、経済活動云々はさておき頑張っている大人の女性が「女子」と口にするのいいじゃないですか。と、41歳の終わりにしみじみと感じたのでした。
ではまた、34回目で。
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