「あらゆる境界線を越えるために」世界的メイクアップアーティストが目指す美容業界のダイバーシティ

 「あらゆる境界線を越えるために」世界的メイクアップアーティストが目指す美容業界のダイバーシティ
横山正美
横山正美
2021-01-29
広告

メイクアップに目覚めさせた母の存在

1970年、イギリス・ノーザンプトンでジャマイカ系移民のシングルマザー・ジーンに育てられた彼女は、毎日メイクをする母を側で見ているうちに、美容への興味が高まって行ったという。

「1992年に他界しましたが、母はメイクアップが大好きでした。よくテレビの前に立って“この女優は目元にこれを使っているのよ。リップはあれね”といちいちメイクの解説をしていましたが、私はテレビが見えないし邪魔だなあ、と思うだけでした(笑)。でも、そのうち一緒になって分析をするようになったんです。よくハリウッドのクラシック映画を見ながら、きっと次のコレクションでデザイナーの誰かがこの世界観をテーマにするかもしれない、とファッション予測もしていたんですよ(笑)」。

そんな母ジーンの影響は、現在の彼女のメイクアップテクニックにも確実に及んでいる。手の温もりで頰の温度を高めてツヤを出したり、テクスチャーの違う色同士をミックスしてオリジナルな色を即興で作り出すなど、トップメイクアップアーティストならではの彼女独自のテクニックの裏にこの母ありき、だ。

「毎日母はきちんとフルメイクをしていました。そしていつもツヤを出すために洗面所でミストを使って仕上げをしていました。母のいつもの“ひと手間”が、私のメイクアップテクニックに確実に繋がっています」。

世界一影響力のある黒人メイクアップアーティストとして

現在コレクションの時期には、多い時でなんとスーツケース87個分の膨大な数の“道具”を持って移動することもあるという彼女。

「25年かけて集めたものばかりです。ほとんどデパートで買っていますが、買っても買っても足りない。本当に化粧品が大好きなんです。でも、70年代や80年代のビューティブランドの中から私たちのような有色人種の肌にピッタリ合うトーンは全くありませんでした。本当に、全く」。

今でこそあらゆる人種の肌トーンにマッチするファンデーションが市場に溢れているが、子供の頃には皆無だったと言う彼女はこう続ける。

「だから母は懸命にリサーチしていたんです。いつも一緒に買い物出かけて、黒人の肌トーンに合う製品を探していました。でも、たまには見つかることもあったんです。もっとも、それは現在の製品のようにあらかじめ“設計”されていたのではなく、単なる“偶然”で生まれた製品だと言うことは分かっていたけれど」。

パット・マクグラム
PAT McGRATH LABS

80年代後半にすっぴん風の“ヌード系”のメイクアップが世界的なトレンドになっても、彼女は自身のトレードマークでもある“カラフルでアバンギャルドなメイク”にこだわり続けた裏には、幼少期の体験から市場には白人むけの色展開が中心であることを知ったことが大きく影響している。そしてそれは同時に、現在の自身のブランドでダークトーンの肌にもナチュラルな陰影を作ることができる製品展開を目指すきっかけにもなった。

「普通にアイシャドーを使っても、黒人のダークトーンの肌にのせるとアッシュ系に傾きがちで顔色が悪く見えてしまいます。ですから、私は、すべての肌トーンに合うピグメントの開発にこだわってきました。白人の肌には白い粉っぽく浮かないように、全ての肌トーンの人にしっくりくる色を作ったつもりです」。

※表示価格は記事執筆時点の価格です。現在の価格については各サイトでご確認ください。

広告



RELATED関連記事

Galleryこの記事の画像/動画一覧

パット・マクグラス
パット・マクグラむ マスカラ
パット・マクグラム
「あらゆる境界線を越えるために」世界的メイクアップアーティストが目指す美容業界のダイバーシティ