深い孤独の果てに…共に"独り"を生きるためのインスピレーション
彼はトラピスト修道士であるトマス・マートンの一節を引用しています。「隠者の一生というのは静けさを崇拝する人生である。隠者は非常な孤独に身を置くからこそ神の存在を感じることができる。小部屋の中で静かに過ごしたり、庭から森を眺めたりする過ごし方によって、霊的な親交が可能になる」。しかし、これに関してボブは納得がいきません。「これは現実を知らない、もしくは偉そうに話をする人間が書いたものです。マートンの言葉のいずれにも共感できません」とボブはたくさんの書籍を読んだ上で発言しています。
むしろその逆です。とても些細で平凡でネガティブなことから喜びに満ち、平和で神聖なことに至るまで、心というのはいたるところに存在します。孤独というのは娯楽に逃避する機会の少ない余生のようなものです。
孤独というのはどこか平凡で日常的です。会社にいるときでさえ、私たちは多くの時間を独りで過ごし、自分の最も内側にある思考や感情に浸り、静かに自分自身と対話するでしょう。マンハッタンに住んでいても、どこに住んでいても、これが私たちの状態なのです。
コミュニティの必要性
彼の日記を読み直し、彼のウェブサイトに掲載されているフォトギャラリーを見ていると、地球上最後の男としてボブのイメージが頭から離れなくなりました。そう、大自然の中には素晴らしい美しさや喜びが存在します。しかし、それを他の誰かと共有できるとわかっているからこそ、そう感じられるのです。もし、ボブがアルマゲドンの唯一の生存者だったとしたら、彼のパタゴニアでの孤独の経験は、意味のない耐え難い孤独になるのではないかと私は思います。ボブは物理的に人間社会から切り離されていたと言えますが、そんな状況においても尚メールが使えました。彼は月1回、自分が生きていることを友人に連絡し、水浸しの船外のモーターによって技術的なサポートを得られていました。また同時期、ボブの友人たちはニューヨークで起きた9.11について話すべきかどうか迷っていました。(実際には友人たちは彼に話すことをしませんでした)この目に見えないインターネットという命づなは、彼を無条件に人間社会と繋げていました。
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