「衰えた親の姿を見るのが苦しい…親の老いを受け止められない」【グリーフケアの専門家が回答】

 「衰えた親の姿を見るのが苦しい…親の老いを受け止められない」【グリーフケアの専門家が回答】
北林あい
北林あい
2023-12-25

「悲しみ」は、生きていれば誰でも経験する感情です。悲しみのない人生はあり得ないとしたらゼロにしようともがくより、悲しみと手をつなぎ上手く折り合いをつけるほうに意識を向けてみませんか。必要なのはちょっとした視点の切り替えであり、新たな視点を身に付けると悲しみが運んでくる大切な気付きを受け取ることができます。今回は「親の老い」をテーマに、臨済宗曹渓寺の僧侶でグリーフケア(悲しみのケア)にも詳しい坂本太樹さんに話を伺いました。

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老いとは、けっして豊かさを失うことではありません

― いつの間にか背中が丸くなり、以前はできたことがままならない親の姿を見ると、老いを実感して胸が締めつけられることがあります。離れて暮らし久しぶりに会うとなれば実感はひとしおかもしれません。人は誰でも老いるとわかっていても、いざ直面すると大きな衝撃を受けるのはなぜでしょうか?

「命は永遠でないと頭では認識していても病気でもしない限りどこか他人事で、特に自分を守り育ててくれた頼れる存在である親は、いつまでも元気でいると勝手に思い込みがちです。人の最期のときに触れる機会が多い僧侶の私でさえ親の老いは自分事と思えないところがあり、大事な人であるほど老いという変化に見て見ぬふりをしたくなるのが人の性のように思います」

― 自分を守ってくれた親を子供が支える側になったとき、一抹の切なさがよぎるものです。子供には、「親はいつまでもこうあってほしい」という理想があるように思います。

「そうですね。しかし子供が願う理想が、親御さんのこうありたいという理想と一致するとは限りません。たとえば昔は子供を育て生活を切り盛りすることに充実感を抱いていたとしても、今は一人静かに過ごす時間に喜びを感じているかもしれない。諸行無常という言葉の通り、まずはこの世の万物は絶えず変化していて老いや衰えは自然であると認識しましょう。そして子供の理想を押しつけず親御さんが今望む豊かさに目を向け、それに合わせてご自身がして差し上げられることを探してみてはどうでしょうか」

― 足腰が弱り若い頃に好きだった旅行に行けなくなっても、今は近所を散歩するひとときが幸せかもしれないし、豊かさの物差しも変化するのですね。変わらないことが幸せとは限らず、こうあるべきというエゴを手放すと見方が変わりそうです。

「親御さんに対する自身のまなざしを冷静に見ていくと、自分が何を期待しているのか見えてきます。その期待を手放していくと、働き盛りの頃よりも今はよく笑うとか、こんなことが好きだったんだとか、できなくなったことだけに向いていた目線が違うところに向いていきます。おっしゃる通り豊かさや幸せの感じ方も時々で変化し、老いたからといって豊かでなくなるわけではありません」

老い
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悲しみ以外に、永遠の別れが与えてくれるものとは?

― 親が病気などを患うと、老いの先にあるいつか来る永遠の別れが実感としてわき上がります。目を逸らしたくなりますが、別れの実感は悲しみ以外に何を与えてくれますか?

「死という永遠の別れを思うことは当然悲しみを伴いますが、与えてくれるものがあるとすれば、大切な人のために何かしてあげたいという心からの愛であり、それは終わりがあるからこそ立ち現れるものだと感じます。また日本社会は死を語るのをタブー視する傾向がありますが、『終活』に見られるように終わりを考えられると逆算してこれをやりたい、こんな準備をしておきたいと考えることができ、永遠の別れが運んでくるのは悲しみだけでなく前向きな要素もあるように思ます」

― 命の終わりは悲しいものですが、ちゃんと向き合うと死があるからこそ豊かな生を意識できるようになるわけですね。仏教では「死」との向き合い方をどのように説いていますか?

「仏教には『生老病死(しょうろうびょうし)』という教えがあり、生きる苦、老いる苦、病む苦、死ぬ苦を四苦と呼び、愛する存在といつかは別れがくる『愛別離苦(あいべつりく)』などとあわせて人生で避けられない根源的な苦しみであると考えられています。仏教に限らず様々な宗教の根源には、老いや死への恐れに心をどう作っていくかということがあります。禅の世界ではよく『その場になりきる』と言うことがあります。目の前の物事に我を忘れるほど専念することを意味しており、坐禅のときは坐禅になりきる、掃除のときは掃除になりきる。そして寝るときは寝ることになりきる。つまり、その時々になりきってしっかり生き切るのが、誰も逃れられない老いや死という恐怖に対する一つの答えとされています」 

「その場になりきる」と相手の本心が見えてくる

― 禅の「なりきる」はヨガで意識するべきマインドフルネスと共通点を感じます。しかし人の心はこの瞬間に留まらず過去や未来に動き回る習性があり、考え事が止まらない人はなりきるのが難しそうです。

「確かにそうですね。子供は400あるけど、大人になると15になると言われるものがあります。これは1日に笑う数と言われています。子供はそのとき面白ければ後先を気にせず笑いますが、大人だとそうはいかずその場の空気を変に読んでしまったり、顔は笑っていても頭では損得勘定が働き素直さに欠けてしまう。あるいは経験値が上がることで感動が薄れて心が動かなくなる。それは仕方のないことですが、目の前のことに素直に入り込み、同じような毎日でも新鮮味を探しながら『なりきる』を心掛けてみてはどうでしょうか。人と向き合う際も嫌なことを引きずっていたり、仕事のことを気にしながらでは目の前の話に入れず相手の本心に辿り着けません。親御さんとの関係作りにおいてもその場になりきるのはとても大切です」

― 多くの人は社会や家庭で会社員、長男といった属性付けがなされ、何かしらの役割意識を持っています。属性を裏切らないように○○らしく振舞う無意識の習慣も素直さの足かせになっているように思います。

「そうかもしれません。ですが、その場になりきるという意識付けを行っていくと、属性付けされた自分ではない本来の自己のかけらが見えてきます。”本来の自己”とは、何にも染まらず何の位も属性もない、名前さえ後から付けられた属性であるかのような真の自分で、私という存在の根底にある核のような自己です。親御さんに向き合うときもなりきって話ができるとこだわりや偏りを持たない本来の自己を通して会話ができ、理想を押し付けている自分にも気付けるかもしれません」

悲しみ
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心を切り替え、今になりきるための「数息観呼吸法」

深く長い腹式呼吸を心掛けたうえで、吐く息の回数を心の中で数えていく呼吸法を「数息観(すそっかん)」と言います。数息観を通して静かに心を調え、日常や自分の気持ちに句読点を打つが如く区切りをつけると次の物事に集中しやすくなります。

〈やり方〉

1.椅子や床に楽な姿勢で座り、目を閉じる。

2. 心の中で「ひとぉーつ(1)」とカウントする。「ふたぁーつ(2)」「みいっーつ(3)」とカウントを重ねながら同様に呼吸を繰り返す。

3.「ここのぉーつ(9)」「とおっー(10)」まで数えたら、再び「「ひとぉーつ(1)」に戻り、2~3分を目安に心が落ち着き切り替わったと感じるまで続ける。

呼吸法
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〈プロフィール〉 

語り手/坂本太樹さん
1985年生まれ。臨済宗妙心寺派 曹溪寺副住職(東京都・港区)。2008年学習院大学法学部政治学科卒業。卒業後、京都妙心寺専門道場で5年間修行。2016年より2022年まで(公財)全日本仏教会に勤務。その後、大切な人を亡くした悲しみなど喪失による悲嘆を抱える人に対する真の寄り添いを学ぶため、2022年4月より上智大学グリーフケア研究所・グリーフケア人材養成課程に入学。(公財)日本宗教連盟 宗教文化振興等調査研究委員会委員を務める。

聞き手/北林あい
活字に関わる職業を志したのは小学校3年生のとき。大学卒業後、制作会社勤務を経てフリーランスのライターに転身しグルメ・旅行メディアで執筆。2009年、30代で左乳房に乳がんを発症し、治療過程で正しい医療情報の必要性を強く感じてがん情報や健康に関する分野の取材、執筆に携わる。その後、がんは寛解してもがんで体の一部とこれまでの自分を失ったショックから心の回復が遅れた経験を機に、2022年4月より上智大学グリーフケア研究所・グリーフケア人材養成課程に入学して悲しみのケアを学び、現在は「心」に関するテーマも執筆。乳がん体験者コーディネーターの資格を取得し、神奈川県の乳腺外科でピアサポート活動も行う。

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取材・文/北林あい

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北林あい

北林あい

臨床傾聴士(上智大学グリーフケア研究所認定)。30代で発症した乳がんの闘病中、心の扱い方に苦労した経験からグリーフケア(悲嘆のケア)を学ぶ。現在は、乳がんのピアサポートや自殺念慮がある人の傾聴に従事。医療・ヘルスケア分野を得意とする執筆歴20年超のフリーライターでもあり、「聴く」と「書く」の両軸で活動中。



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