【ヨガ×医学】医師兼ヨガセラピストが考案「コロナ禍で見失った心」と繋がるヨガと呼吸法

 【ヨガ×医学】医師兼ヨガセラピストが考案「コロナ禍で見失った心」と繋がるヨガと呼吸法
Jordan and Dani Lutes

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医師でヨガセラピストのイングリッド・ヤンは、新型コロナウイルスのパンデミックが始まって以来、最前線で奮闘している。彼女がよく用いる処方とは?……呼吸法だ。

病室には窓が1つだけあった。開けることはできないが、作り付けのベンチから天井までほぼ壁一面に広がっていて、殺風景な空間に光を取り入れている。外に見える中庭の小さな噴水の真ん中には、大きなト音記号の彫刻が立っている。サンディエゴ特有の季節外れの暖かい4月の朝、噴水から舞う水滴が大気にきらめいて落ちていく。一方、病室の中では一種のオーケストラ演奏が繰り広げられていた。
ここはシャープメモリアル病院のコロナ病棟。ウィーンという機械音が弦楽器のように響き、ポンプ式の医療機器は木管楽器のような音をたて、そこに不規則に息を吸う音がベースのリズムを刻んでいる。この呼吸音の主の名はバーノン。2週間前に新型コロナウイルス感染症と診断された60代の男性だ。鼻に入れたチューブはあごの下でV字形に合わさり、脇に置かれた酸素タンクにつながっている。彼は窓の前でト音記号の噴水を背にして座っていた。目は閉じられ、マスクなしの顔は穏やかで、患者用の靴下を履いた両足を床についている。
バーノンの前で膝を突き合わせて座っているのは、病院総合医のイングリッド・ヤン医学博士だ。彼女の手はまるでシンフォニーの指揮者のようにふたりの間を優雅に舞いながら、ヨガセラピーを導いていた。「鼻から息を吸って、3、2、1」と彼女は言いながら、バーノンと一緒に胸と腹を膨らませ、両手をゆっくりと引き上げていく。「息を止めます、3、2、1。口をすぼめて息を吐いて。横隔膜を下げるように息を吸って……いいですね」
ヤンの澄んだ声や抑揚のある話し方、リズミカルな動作は音楽を感じさせる。熟練したレイキヒーラーでもある彼女は、エネルギーを動かす達人だ。意識的かどうかはわからないが、まるで目に見えているかのようにエネルギーを扱う。話す間も絶えず身振り手振りを交えながら、自身が開発したプラーナヤーマ(呼吸法)に基づくシンプルでわかりやすい手法でバーノンを導いていた。感染者から呼吸を奪うウイルスへの対処法は、隔離することが主流となっているが、一緒に呼吸をする手法はヤンにも患者たちにも大きな変化をもたらしている。

見失われた心

1970年代に台湾から移住してきたヤンの両親(弁護士のクリスティーンと医師のジェームズ)は、カリフォルニア州ニューポートビーチに居を構えた。移民の彼らは、生き残るために感情よりも成功を優先させる生き方を選ぶ必要があった。その生き方はヤンと兄にも引き継がれた。「生き残るためには、安定した仕事と肩書を持ち、疎外されないように不可欠な存在にならないといけないの」とヤンは言う。
彼女の家では感情は無視され、育まれることもなかったため、ヤンは自分の感情を閉ざした。アジア系アメリカ人の少女として周囲から期待される役割を演じることを学び、「おとなしい良い子」であろうとした。だがその結果、本来の自分との隔たりは大きくなるばかりだった。頭では、意欲的で成績優秀な若い女性としての自分の価値を理解していたが、それ以上のことを感じて表現することができなくなっていた。
18歳でニューヨークのコロンビア大学バーナード校に入学すると、ヤンは自分が常に不安を抱えたタイプAと呼ばれる人間だと気づく。友人の勧めでいくつかのヨガクラスに参加したものの、なかなか練習に集中できなかった。
ところがある日、トリコナーサナ(三角のポーズ)を練習していた時のことだ。頭を回転させて目線を天井に向け、ポーズを整えて息を吸うと、何とも言えない軽やかさを感じた。どこにも行かなくても、何かを成し遂げなくても、ただ息をしていればいい、という気づきが彼女の中に広がった。
「心が急に広がったんです」そうヤンは言う。彼女は今や、E‒RYT500とIAYT認定ヨガセラピストの資格を持ち、昨年には『Adaptive Yoga』を共著出版している。「実際にポーズで胸にスペースが生まれて、そこで呼吸をしたら、思考と胸のスペースと呼吸がつながったの。突然すべてがひとつにまとまったのよ」
ヤンはヨガとの新たな関係を探る一方で、コロンビア大学の研究室で働く叔母のシュウメイとの絆も深めた。シュウメイはランチを持ってきては、宿題を手伝ってくれた。ヤンは都会から離れたくなると、叔母のニュージャージーの家で料理を作り、食べ、話をして週末を過ごした。ヤンの両親は遊ぶこともなく仕事一筋だったが、社交や旅行で常に飛び回っているシュウメイの人生は、喜びと自由に満ちていた。彼女は、それまでヤンが味わったことのない優しく包み込む愛を与えてくれた。

自分のダルマに気づく

ヨガを深めるにつれ、ヤンは長年ないがしろにしていた自分の心と再びつながるようになった。2005年にヨガティーチャートレーニングを修了すると、彼女はヴィンヤサクラスを教え始め、デューク大学のロースクール通いを経てニューヨークで企業弁護士の職に就くまで続けた。
25歳で6桁のドル収入を得るようになり、両親の基準で言えば大成功を収めていたヤン。だが彼女は心の中ではこの成功に納得していなかった。その後、カナダでティーチャートレーニングを受けていた時、一本の電話がかかってきた。最近、特発性肺線維症(呼吸が困難になる肺の病気)を発症した叔母のシュウメイが、脳卒中で倒れたという知らせだった。
すぐさまヤンは飛行機を予約し、叔母の病室に向かった。シュウメイはヤンに見守られて息を引き取った。「叔母の死により、自分がやりたいことがわかったの」とヤンは言う。
人生の短さと儚さを思い知らされた彼女は、数カ月後、心から楽しめなかった弁護士の仕事を辞めた。そしてノースカロライナ州に向かい、ヨガセンターを開設した。「生まれて初めて自分の本能に従ったわ」と彼女は話す。彼女の両親は、娘が立派なキャリアを捨てて体操教師になるのかとはらはらしていたという。
2006年にデューク・メディカル・センターの真向かいにオープンしたブルー・ポイント・ヨガセンターは、すぐに成功を収めた。ヤンのクラスに集まった看護師、医師、専門家たちは好奇心旺盛で、ヨガのメカニズムについてあらゆる質問を投げかけてきた。だが、ヤンは十分に答えることができなかった。そこで彼女は空き時間に解剖学や運動学を研究し、ヨガクラスに科学的な説明を盛り込むようにした。ヤンは、ヨガと科学の本質的な関係を学ぶことに夢中になった。そして、デューク大学の腫瘍内科医である旧友に「人生をやり直せるなら、医者になりたい」と打ち明けた。すると友人は言った。「やり直せるならってどういうこと?あなた27歳よ!今からだってなれるでしょ」
その言葉がヤンの背中を押してくれた。2011年8月、彼女はシカゴのラッシュ・メディカル・カレッジの医学部に入学した。

嵐の中で平穏を見つける
上級看護師のアイリーン・キャロルと打ち合わせをするイングリッド・ヤン医師
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by Hannah Lott-Schwartz
photos by Jordan and Dani Lutes Wis Holt
model by Ingrid Yang
translation by Sachiko Matsunami
yoga Journal日本版Vol.78掲載

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