「傷を抱えて生きていくことが人生」作家・窪美澄さんが物語を通して描きたい想いとは

 「傷を抱えて生きていくことが人生」作家・窪美澄さんが物語を通して描きたい想いとは
photo by Fumiaki Omori
磯沙緒里
磯沙緒里
2024-02-27

心と体が大きく変化する”更年期”。年齢とともに生じる変化の波に乗りながら生き生きと歩みを進める女性たちにお話しいただくインタビュー企画「OVER50-降っても晴れても機嫌よく」。第9弾は、作家の窪美澄さんへのインタビュー後編です。

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傷を抱えて生きていくことが人生だということを書きたい

ーー窪さんの作品は、生きづらさや心に傷を抱えている人にそっと寄り添ってくれるように感じます。新作である『ぼくは青くて透明で』にも様々な立場の登場人物がそれぞれに生きづらさを抱えながら生きていて、つらいことも多いけれど、それでも淡々と生きていく。その様に励まされるような気持ちになりました。窪さんはこの作品にどのような思いを込められたのでしょうか?

窪さん:この本で25冊目くらいになるんですけど、そうなってくると、自分の小説世界の中での価値観が出来つつあるんです。例えば、自分の小説世界の中では、恋愛っていうと男女しかないとか。そういうのがちょっと不自由だなと思ったんです。私の小説世界では、男の子同士の恋愛でも、女の子同士の恋愛でも、あり得るんだってことを提示したかった。そして、それでも深刻にならずに小さな恋の話を書きたかったんです。

ーー窪さんの物語は劇的なハッピーエンドというよりも、静かに光が差すような優しい終わり方が印象的です。傷も、生きづらさも抱えたまま生きていく道を示してくれているように感じます。傷や生きづらさを抱えた人々を描くことには、どんな思いがありますか?

窪さん:やっぱり自分自身がそういう人間だから。私は家族関係も良くなかったり、母親とうまくいかなかったりとかっていうのがまずベースとしてある人間なんです。だからといって、人を救おうって思っているわけではないんです。でも、世の中には家族関係がいい人たちだけじゃないよねっていう価値観をまず提示したいんですよね。その問題に体当たりでぶつかってもぶつからなくてもどっちでもいいけど、それを抱えて生きていくっていうことをちゃんと書きたいと思っています。解決にならないかもしれないけど、傷を抱えて生きていくことが人生なんだよねってことを書きたくて書いているのかもしれないです。

ーードラマティックなハッピーエンドで終わらせないことにも意味はありますか?

窪さん:勧善懲悪のスッキリ終わるようなものや、ドラマティックな終わり方の小説もあるんですけど、私はやっぱり、読み手の方が読み終わって現実に戻った時に、読み心地として現実に繋がって地続きになっていってほしいっていう思いがあるんです。それは最初の頃から目指していたんですよね。

窪美澄
photo by Fumiaki Omori

傷も引っかかりも、振り返れば大したことじゃないと思えるように

ーーヨガジャーナルオンラインの読者は40代や50代の育児や仕事に忙しく、体調の変化も大きい世代が多いです。窪さんの作品に出会うことで、「寄り添ってもらった」と感じる人は多いのではないかと思います。今、様々なしがらみの中でがんばる女性たちにどんな言葉をかけたいですか?

窪さん:自分のことを振り返ってもそう思いますが、「よく頑張っているよね」って。自分の子供が保育園や小学生時代のことを振り返っても、しっちゃかめっちゃかで。この子を生かして、食べさせて、お風呂に入れて、清潔な服を着せなければって必死だった。保育園から帰ってからのあの戦争のような時間を思い出すだけで今だにどきどきしちゃう。子供には、よく生きて、大きくなったねって言いたいし、それをしていた自分にも「おつかれさま」って言いたくなる時があります。でもね、その時期って絶対に終わるんですよ。大変な時期って15年くらいかな。20年は続かないと思うんです。だから、今しんどい人も、子育てって徐々に楽になっていくよって言いたいです。

それと、子育てって、「間違えちゃった」と思うことが多々あると思うんです。私は今でも、「ああいうことを言わなければよかった」って思うことはあります。でもね、人間だから、親って絶対に間違うんですよ。だからそこは自分をあんまり責めないであげてほしいです。それに、子供もわかっていると思います。子育てって人間同士のことだから、あんまりそこに責任を感じなくていいと思うし、もし大きく間違ってしまったことがあれば、大きくなってから謝ればいいんじゃないかと思います。子供はそれだけの力を持っていると思います。実際に、「向き合えなくてごめんね」なんて言ったら子供は覚えていなかったり、「え?そうだったっけ?」なんてこともあったんですよね。だから、あんまり間違わないようにしなくちゃってどきどきしなくていいと思います。子育てって、ぶつかり稽古じゃないですけど生身の人間がぶつかっていくことなので、そこには傷もあれば引っかかりもあるだろうけど、それも後から見れば大したことじゃないよって言いたいですね。

血の繋がり以外の関係に助けられてきた

ーーお子さんが幼い時代の育児と仕事の両立は大変でしたか?

窪さん:育児雑誌って、取材時間が遅いんですよ。産婦人科医とか小児科医に取材に行くので、例えば夜の7時に診察が終わってからなんですよね。診察が時間通りに終わればいいですけど延びることが多いので、夜の8時から取材なんてこともあって。保育園は終わっているし、夫に頼めれば頼みたかったけれど頼めなかったので、シッターさんに保育園に迎えに行ってもらって家でみてもらうってことをしていたんです。

ある時、それを見ていた保育園の同級生のお母さんに、「シッターさんが時々来ているけど、あなたそんなに忙しいの?」って言われて、「そうなんですよ。時々そういうことがあるんですよ」って言ったら、「じゃあうちでみるよ」って言ってくれたんです。それで、そのお母さんが子供を預かってくれて、ごはんも食べさせてお風呂も入れてくれて、私が21時か22時くらいに迎えに行くと「もう寝るだけだから」って渡してくれるっていう。そんな神様みたいな人がいて、助けられて生きてきました。その方に何か用事があると私が預かって、相互に助け合っていたんです。そこには血の繋がりはないですし、たまたま子供が同級生だっただけの関係なんですけど、そうやって助けてくれる人がちょこちょこ現れるんですよね。

きっとその私が本当に困っているように見えたんだと思いますけど、誰かに「助けてください」っていうと助けてくれたんですよね。他にも、例えば私の同級生の独身の友達に子供を預けて大阪に日帰りで出張に行くとか。綱渡りみたいなことをやっていました。

この国に住む色々な国の方のことも書いていきたい

ーー最後に、今後挑戦したいことや書きたいテーマについて教えてください。

窪さん:私はたまに団地を舞台に小説を書いているんですが、これまでは日本人の子しか登場しなかったんです。でも、今度始まる連載は、団地に住むベトナム人の男の子と、日本人の女の子をテーマにした小説です。舞台となっているのは大和市の団地なんですが、ゴミ捨て場に6ヶ国語の注意書きがあるような、国籍もフィリピンとかブラジルとか色々な国の方が住んでいる団地があって、そこをモデルにして書いています。私の小説の中の価値観として、日本の方だけが出てくるのはもう不自然だなと感じているんです。この国には色々な国の方が住んでいるので、そういう方のことも書いていきたいと思っています。

お話を伺ったのは・・・窪美澄さん

1965年東京都生まれ。2009年「ミクマリ」で女による女のためのR−18文学賞大賞を受賞しデビュー。11年同作を収録した『ふがいない僕は空を見た』で山本周五郎賞受賞。12年『晴天の迷いクジラ』で山田風太郎賞、19年『トリニティ』で織田作之助賞を受賞 そのほか『さよなら、ニルヴァーナ』『よるのふくらみ』『やめるときも、すこやかなるときも』『じっと手を見る』『私は女になりたい』『朔が満ちる』など著書多数。最新著書『ぼくは青くて透明で』(文藝春秋)

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『ぼくは青くて透明で』(文藝春秋)
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磯沙緒里

磯沙緒里

ヨガインストラクター。幼少期よりバレエやマラソンに親しみ、体を使うことに関心を寄せる。学生時代にヨガに出合い、会社員生活のかたわら、国内外でさまざまなヨガを学び、本格的にその世界へと導かれてインストラクターに。現在は、スタイルに捉われずにヨガを楽しんでもらえるよう、様々なシチュエーチョンやオンラインでのレッスンも行う。雑誌やウェブなどのヨガコンテンツ監修のほか、大規模ヨガイベントプロデュースも手がける。



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