女性の性欲は下品?私たちは誰のために「だめ」と言っているのか|チョーヒカルの#とびきり自分論

 女性の性欲は下品?私たちは誰のために「だめ」と言っているのか|チョーヒカルの#とびきり自分論
Cho Hikaru/yoga journal online

誰かが決めた女性らしさとか、女の幸せとか、価値とか常識とか正解とか…そんな手垢にまみれたものより、もっともっと大事にすべきものはたくさんあるはず。人間の身体をキャンバスに描くリアルなペイントなどで知られる若手作家チョーヒカル(趙燁)さんが綴る、自分らしく生きていくための言葉。

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「情緒」ってなんだ。「お淑やか」ってなんだ。なぜ私たちは本当のことを言わないことが美しいと思い込んでいるのだろうか。

大学院留学に来るよりも前、私はアーティストレジデンシーという、アーティストの研修的なもので数ヶ月ニューヨークに滞在していた。そこでまあお恥ずかしくも、かなり久しぶりに夢中になるほどに好きな人ができた。両親の友人の息子でニューヨーク生まれのテレンスという男の子。意気投合し、短い時間の中でブルックリンブリッジを歩いてみたり、1スライス百円の巨大ピザをセントラルパークで一緒に食べたり、デートを重ね、とうとう彼の家にいくことになった。アレクサから流れるいい雰囲気の音楽、間接照明、ベッドで隣に座る彼。腰にまわる手。

きたきた!私は満を辞して、恥じらいマックスの表情を作って言った

「あ、だめ…」

その瞬間、彼はバッと身を引き、申し訳なさそうな顔で

「ごめん!嫌だった?」

と謝った。

ん?この人は何を言っているんだろう。今のは明らかに「いい感じ」だったのに。混乱した表情を浮かべる私に彼は同じく困惑しつつ

「え?今、だめって言ったよね?」

と再度聞く。私は軽く笑いながら

「いや、確かにだめって言ったけど、今のはいいって意味の“だめ”で、」

「何を言っているの?」

「え、だから雰囲気でわかるでしょ?」

「わからないし、そんなの受け取る人によっても変わってしまうんじゃないか?本当に“だめ”なときはどうするの?」

「いや、でも、あれ…?」

「そんなの本当に嫌だったらわかるよ」と言いそうになりながら、少しずつ疑問が湧いてくる。あれ、なんで私は素直に「いいよ」と言わずに「だめ」と言ったのだろう。なんで恥じらわないといけない気がしたのだろう。なんで自分の性を肯定することが、下品に思えるんだろう。日本の「常識」の中に練り込まれた女性に対する気持ち悪い制約に、自分が見事に飲み込まれていたことにはたと気づいた。

私たちは誰のために「だめ」と言っているのか

性教育なんてほぼ受けた記憶もない。部位や性病の名前をプリントに書いたくらいだった気がする。そんな中、男女の行為や付き合いを学ぶ元は結局インターネットやメディアだった。そしてそこに提示され続けていたのは「男性の性欲は仕方がない」「女性の性欲は下品である」という方程式。セックスをすることがメインテーマのアダルトビデオにおいてさえ、女性の喘ぎ声はいつも「いや、やだ、だめ」。私たちは誰のために「だめ」と言っているのか?決して自分のためじゃない。ビッチだと思われたら損をするから?女性にだって男性と同じように性欲があることや、同意の上の性行為を行っているだけで女性を「ビッチ」と判断し、それを「乱雑に扱っていい理由」としている側が100パーセントおかしいだけじゃないか。

思い返してみれば、本当に「嫌だ」と言った時、それが伝わらなかったことだって何度もあった。その度に「でも部屋に行ってしまったから」とか「性的な話をしてしまったから」とか、自分で自分を責めていた。でもどんな状況下においても、NOはNOなのだ。私たちの体は私たちだけのもので、二軒目に行っても部屋に行っても一緒にラブホテルに入っても、私たちがしたくない限り、セックスを強要される妥当性は決して決してないのである。当たり前のことなのに、そのせいで辛い思いをしたことだってあるのに、YESとしてN Oが使われていることに疑問を抱いたことなんてなかった。むしろ自分でも使い続けていた。そして、それを今まで誰も咎めてはくれなかった。根の深さにゾッとする。

別にアメリカが完璧なわけではないし、人による部分も大きい。だけど「嫌よ嫌よも好きのうち」なんて慣用句はまかり通らないし、特に近年「同意」が日本よりも重要視されていることはたびたび感じる。情緒がない?そんなこと、どうでもいい。YESとNOの境目がぼやけることに、これ以上貢献したくない。自分のために、全ての人のために、嫌は嫌、好きは好きと言っていこうと心に誓った。

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AUTHOR

チョーヒカル

チョーヒカル

1993年東京都生まれ。2016年に武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科を卒業。体や物にリアルなペイントをする作品で注目され、衣服やCDジャケットのデザイン、イラストレーション、立体、映像作品なども手がける。アムネスティ・インターナショナルや企業などとのコラボレーション多数。国内外で個展も開催。著書に『SUPER FLASH GIRLS 超閃光ガールズ』『ストレンジ・ファニー・ラブ』『絶滅生物図誌』『じゃない!』がある。



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