なぜ母親になりたいのか|あるヨガ指導者の「母性を探る旅」

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なぜ母親になりたいのか|あるヨガ指導者の「母性を探る旅」

LEZA LOWITZ
LEZA LOWITZ
2018-01-18

ドゥルガーとは、女性性の凄まじいパワーを明示する至高の女神である。彼女は獰猛な戦士で、虎の背中に乗り、18本の腕に武器を持つ。執着や渇望という最も恐るべき精神的な悪魔を殺す神とされ、彼女の力はヒンドゥー教すべての神々の力を体現している。耳の奥でまだあの音が鳴り響いている。私はよろよろと群集の後ろへ戻るために歩いた。そして、自分自身に問いかけた。「アンマは本当に、あのマントラを私に与えてくれたのだろうか?」「あのマントラを、彼女はすべての人に与えているのだろうか? いや、そうでないとしたらなぜ?」
私は何か権限を与えられたように勇気を感じた。神聖な場所や、悟りを開いた存在のもとには広大なエネルギーフィールドが存在するため、その力を使い、私たちが本来は誰であるのかを容易に思い出すことができると言われている。私はこの体験、このマントラ、そしてこの自分自身の願い事を思い返すことができるよう、アシュラムのギフトショップで木製の数珠を購入した。それから私は、迷路のような広大な敷地を歩き、やっとのことで外で待っている運転手を見つけた。
海辺の滞在先へ戻るガタガタ道の車中でずっと、マントラは私の耳の奥で鳴り続き、数時間経ったことが、ほんの数分に感じられた。そしてまだ、アンマが差し出してくれた腕の温もりと至福を感じることができた。ホテルのベッドに横たわり、波の音にあやされるように私は眠りに落ちた。

瀕死のフグが教えてくれたこと  

次の日、古代の治療法を受けるため、南コーヴァラムにあるアーユルヴェーダトリートメントセンターへ行った。この伝統的な治療技法が、私の受精力を高めてくれることを期待して一週間の滞在予約をしていた。しかしながら、もしここで私の期待が叶わずとも、最低限リラックスすることができれば、と考えていた。私はアーユルヴェーダの医師に会い、医師が私のドーシャとエレメントを評価し、ヴァータが乱れていると診断された。都市部に住む多くの女性と同じように、私は緊張し、神経質になりすぎている。忙しすぎるがゆえ、心がバラバラで、地に足をつける必要がある。バランスを取り戻す手段として、医師は毎日のヨガと瞑想、そしてアビヤンガと呼ばれる伝統的なオイルマッサージを処方した。ココナッツリーフの屋根の下で、私は裸で木の椅子に腰かけた。若い女性が供え物として花と水と祈りを捧げ、私の第三の目の位置に赤いビンディを塗り、焼香を私の上で波のように揺らした。私はうつ伏せになり、全身にセサミオイルが塗られた。彼女は私の上にある天井から垂れ下がったロープを握り、足を踏み込んでリズミカルに私の背中と脚のマッサージをしていった。硬くなっていた筋肉が溶かされ、体内循環が刺激された。それから私は仰向けになり、彼女はもう一度同じ過程を繰り返した。
その日は気温43度で、私はものすごく汗をかいた。マッサージが終わると大きなココナッツを一つ渡され、私は神々の甘露であるそのジュースをありがたく飲んだ。朝食は自家製のパンとベジタリアンカレー。私は初日にしてすでに、晴れやかでリラックスした気持ちになった。「ここは間違いなく、天国」。私はそう思った。
朝食のあと、私はビーチのほうへ歩いていった。まだ朝の8時前で、地元の漁師たちはイワシのような小さな魚を網で獲っている。その網に交ざってたくさんのフグも捕獲されており、危機を感じたフグたちは生きるため必死に膨張し、トゲを出しジタバタともがいている。猟師たちはフグを網から出して逃がすのだが、何も気にせず海に投げ返す。私が住んでいる東京では、この人を死にいたらしめる生き物は高級食材として扱われているが、ここインドでは全く違うようだ。きっとこの地域のシェフたちは、フグの毒を取り除く知識がないため、食用としては使えないのだろう。
何百ものフグたちが呼吸もできず、もがきながら海岸沿いに横たわっていた。「これは間違いなく地獄」。そう思った。大きなフグにつまずきそうになり、目を見ると、とても悲しそうに震えていた。私はそのフグをなんとか海に返すため、靴で軽く押すように転がした。しかし強い波に何度も巻かれ、押し戻される小石のように岸に戻ってきてしまった。私はそのフグを手で持ち上げようとしたが、トゲが手に刺さってしまう。しかしその時、フグは急にトゲを引っ込めて軟らかくなった。弱ってきてしまったのだろうか。それとも、私の意図を感じたからなのだろうか。私はそのフグを海に向かって放り投げ、安全な場所へ泳いでいくのを願って見守った。証拠は何もないが、直感で私はあのフグが妊娠していたのではないかと強く感じた。あのフグは、到底乗り越えられそうもない強い波に打たれながら、卵を産むために、どんなに生き延びたかったことだろう。私はしばらく、もう岸に戻ってこないことを見届けたかったのだが、突然のどしゃ降りに見舞われ、あえなく部屋の中に避難しなければならなかった。
小屋の中で休みながら、今までのことを振り返った。 「もし私が、生命の誕生を歓迎したいのであれば、私はすべての生命体を大切にしなければならない」。その夜、一匹の蜂がディナーテーブルの上にあるハニーポットの中に落ちてしまったので、私はすくって逃がしてやった。そのあとまた、シャワーの近くにあるスプレー缶の周りで迷子になっている一匹のイモムシを見つけた。そっとスプレー缶をどけながら私は気づいた、この世界には母親になるための方法が何百通りもある。子供を産むということは、その中の一つの方法に過ぎない。

※このエッセイは2015年春Stone Bridge Pressより出版した回顧録『Here Comes The Sun』より抜粋。
Translated by Joy Yu Natsume
yoga Journal日本版Vol.37掲載

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