なぜ母親になりたいのか|あるヨガ指導者の「母性を探る旅」

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なぜ母親になりたいのか|あるヨガ指導者の「母性を探る旅」

LEZA LOWITZ
LEZA LOWITZ
2018-01-18

アンマの唱えたマントラ

私の目的地はインド・ケララ州。そこには「聖なる抱擁の人」として知られるマーター・アムリターナンダマイー・デーヴィ、またの名をスピリチュアルグル・アンマのアシュラムがある。私は深夜にやっと海辺にある滞在先に着き、湿度の高い8月の一夜を草葺きの小屋で過ごした。夜通し聞こえてくる野犬の遠吠え、ギャーギャーと鳴くカラスの声で、眠りに落ちるまで幻覚状態が続いた。
波の音で起きると、朝になっていた。朝食のあと、運転手がヤシの木に囲まれた淀んだ川沿いをドライブしてくれた。川は、果物、魚、貨物などを運ぶボートで活気に溢れている。そして、道路は牛や農夫、頭に籠をのせて運ぶ女性、家族全員を乗せた小さなバイクなどで賑わっている。私たちが乗っているジープはこの賑やかな道を走っていった。路面にあった巨大なくぼみを通過した時には、私は天井に頭をぶつけた。ジープの外から聞こえる不協和音、人間、動物、乗り物の音が、スピーカーから鳴り響くボリウッド音楽とよくマッチしていた。数時間後、ピンク色のコンクリートでできた大規模なアシュラムの鉄門の前に到着した。講堂の中では何千人もの人が床に座り、祈りの歌を歌ったり、瞑想をしたり、眠ったりしながら、アンマの祝福を受ける時を待っている。私は、平和と希望に満ちた気持ちになっていった。
それは縁起の良い一日だった。アンマは柔らかい面持ちの50代後半の女性で、茶色の髪にグレーの白髪が縞模様に入り、女性性を象徴する神デヴィのような神々しい装い。金箔を施した銀のヘッドドレスと、ゆったりとした赤と青のサリーを着て、信者たちに囲まれ壇上に座っている。何時間も腕を広げては人々を抱きしめ、トイレに行くために中断することすらない。多くの信者たちがあまりにも感情的で、私は心を打たれてしまった。中には、引き離されなければ、アンマから離れられない人もいた。多くの人が泣いたり、感極まって声を上げたりしていた。
私は疑問に思った。彼女の純粋な心が、ここにいる人々を引き付けているのだろうか? アンマは私たちにこう説く、「一人の人間とは、限界のある肉体とマインドのことではありません。人間には時を超えて存在する至福の意識があります」。ヒンドゥー教の信仰によると、聖人から受け取ったエネルギーは私たちの中へ伝送され、同じ聖なるエネルギーを私たちの中に目覚めさせるという。本当にここにいるすべての人たち、そして私自身も、至福の意識に目覚めることができるだろうか?
座って自分の順番を待っている間、この広々と落ち着いた空間に溶け込んでいく自分がいた。アンマ、その名の意味は「母親」。彼女はすべての人にとっての生物学的な母親ではないが、私が今まで見たことのある存在の中で最も母なる存在であった。アンマは腕を広げ、どんな身なりの人も関係なく、一人ひとりを力強く引き寄せ、抱きしめた。全身が傷だらけで血を流している人も、最高級のサリーを着ている人も関係なく。アンマの存在すべてが慈悲の光を放っている。すべてを受け入れ、すべてを捧げること。これが母になる、ということなのだと知った。彼女が与える安心感と無条件の愛を目の当たりにしたことで、私は自分の感情を克服していた。この部屋全体が、柔らかい愛情の繭に包まれているようだった。そして、その愛情は一人ひとりに伝染する。
アンマの壇上に近づくにつれ、人々の押し合いが強くなってきた。白い綿の服を着た一人のボランティアが私たちに、アンマが抱きしめる時には、願い事をするよう案内した。ついに私の順番がきて、私はこうささやいた。「母親になれますように」。アンマはその温かく柔らかい肉体で私を包みながら耳元でマントラを唱えた。私の鼓膜が振動し、やがてその音は体全体に広がり、部屋全体に鳴り響いているように感じた。「ドゥルガー、ドゥルガー、ドゥルガー」。私にはその音がこう聞こえた。

※このエッセイは2015年春Stone Bridge Pressより出版した回顧録『Here Comes The Sun』より抜粋。
Translated by Joy Yu Natsume
yoga Journal日本版Vol.37掲載

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