「わからない」不安と向き合う:養子を決意したメアリーの場合

 「わからない」不安と向き合う:養子を決意したメアリーの場合
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それからの数週間はあっという間で、私たちは私の生徒、そして里親/里子・養子縁組の弁護士であるテイラーにアドバイスを求めた。彼女はもう何年も私のクラスに通っていて、いつでもマットをいちばん前、ど真ん中に敷いているような人だ。人生そうしたもので、すべてを変えてくれる人との出会いは逃してはいけない。テイラーと話したあと、私とマットは里親/里子・養子縁組のあっせん所に行き、里親になる、という重大で、恐ろしくも、素晴らしい決断をした。私たちの住むここロサンゼルスでは34,000人以上の子どもたちが登録されていて、私たちと同じように、この中の何人かもきっと私たちを待っている。

実の親の顔がわからないことに加えて、さらに落ち込ませることがあった。ベビーの年齢も、性別も、人種も、産みの親がどんな検診を受けてきたのかもわからなかったのだ。私たちが里子にする子は実の親と再会することがないはずで、私たちも、完全に私たちの子どもになってくれる子を望んでいた。質問して、回答を得ることはできるが、私たちは“わからないこと”の真っただ中にいて、ただ確かなのは、“信じること”を学んでいるということ。何が起ころうとも、迎える子は私のお腹から産まれ、ずっとこの腕に抱きしめたかった子だと信じること。

その朝、子ども部屋でベビーベッドをのぞき込んで「いったいどんな子がここに眠るのかしら」と思いながら、心のなかで新しいマントラを唱える―わからない―思ったよりずっと希望と心地よさをもたらしてくれるフレーズだ。

ソーシャル・ワーカーと里親/里子のシステムについて話すために会ったとき、注意されたことがある。「あなたは心を奪われると思うけど、傷つくこともたくさんあるわ」確かに怖い、でもこれって人生で起こり得ることの真実では?結局は大切な人のため、困難を乗り越えることに意味がある。

それまでは、こうした困難なことのショックに身構えて過ごしていたが、最近ではわからないことを楽しむことにしている。

里親になることは、ちょっとスカイダイビングの気分にも似ていて、私のある部分は“数えきれない心配”や“もし~だったら”に関わることを欲してもいた。残りの大部分で、今まで私にあるとも思わなかった知恵の泉を活用しながら、1日1日を―というより1時間1時間を―ただ1歩ずつ、正しい選択ができるように進んで行く。目とハートを大きく開き、“わからない”ことの安らぎのなかで。

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Text by MARY BETH LARUE



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