「自然に優しい食生活」をヨガ的に考えてみると? #わたしのサステナブルウィッシュ

 「自然に優しい食生活」をヨガ的に考えてみると? #わたしのサステナブルウィッシュ
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2021年の1年間を通して地球と人に優しい習慣を身につけるための【サステナブルウィッシュ】。今回の #わたしのサステナブルウィッシュでの挑戦は、”自然に優しい食生活の実践”。「自然に優しい」と聞くと最初に思い浮かべるのが「ヴィーガン」「ベジタリアン」と言った食スタイルかもしれません。「ヨガ=ベジタリアン / ヴィーガン」というイメージも強いですが果たしてそれは正解なのでしょうか?人と自然に優しい食生活をヨガ的に考察してみます。

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そもそもヴィーガン・ベジタリアンって何?

Brooke Lark
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ヴィーガンとベタジリアンの違い

そもそもヴィーガン・ベジタリアンについて、最初に簡単に説明すると以下のようにまとめられるかと思います。

  • ベジタリアン(菜食主義): 肉や魚を食べない
  • ヴィーガン(完全菜食主義): 肉や魚、卵や乳製品も食べない(鰹出汁やはちみつなども含まれる)。また、日用品や衣服から化粧品まで、動物実験されたり動物由来の成分を含んだりする商品の購入や使用、娯楽のための動物の利用(動物園や水族館)をしない。

ヴィーガンとベタジリアンが注目されている理由

ヴィーガンやベジタリアンになる背景は人それぞれですが、日本でこうした食生活スタイルを選択する理由の多くは、主に3つと考えられるのではないでしょうか。

  • 動物愛護のため
  • 健康のため
  • 環境保護のため

上記の中でも、日本でヴィーガン・ベジタリアン食生活スタイルに興味を持っている人または実際にはじめている人の多数が「環境保護のため」を理由にしていると思われます。

肉を生産する畜産の過程で、地球温暖化に影響する温室効果ガスが多量に排出されていることが数々の研究で明らかになっているのはご存知の方も多いかもしれません。特に牛はメタンガスを排出するため、それが環境に悪影響を及ぼしていると言われています。

ただし実際は牛自身が問題ではないとも言われています。檻に閉じ込めることでガスも閉じ込めてしまう飼育方法や、餌である大豆などの大規模農業やそれに伴う農地開拓などが問題されています。

つまり、産業的な畜産のあり方が根本的な課題ということですね。

自然に優しい食生活をヨガ的に考察

Jasmin Schreiber
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ヨガ=ヴィーガン・ベジタリアンではない

「ヨガ」と言うと「ベジタリアンですか?」「ヴィーガンですか?」と聞かれることも海外では一般的なコミュニケーションの一つです。また「違います」と言えば、「そうですか」と特に驚かれることもありません。

ヨガの教えである八支則で説かれている『非暴力(アヒンサー)』を参考に「動物への暴力をしない」とヴィーガン寄りのベジタリアンの方も多くいるのは間違いではないかもしれません。

けれど「ヨガをしているから、ベタジリアン・ヴィーガンにならなくてはいけない」とは言われていません。(ヴィーガンだけの流派というのもあるにはありますが)

消化できる食べものを選ぶ

ヨガと姉妹関係にあるアーユルヴェーダでも、またヴィーガン・ベジタリアンになることが絶対とは言われてはいません。例えば、アーユルヴェーダの中で"奇跡のオイル"と言われているギーはバターから作られていて、バターはご存知の通り、動物性の食品です。

動物性のものを食べる・食べない以前に、アーユルヴェーダで重要なのは、”自分の体が消化できる食べ物”を選ぶこと。

例えば、お肉は消化に時間がかかることは、多くの方もご存知かもしれません。実際「ステーキ食べたら、胃もたれが…」なんて経験がある方も多いのでは?もちろん、焼き肉やらステーキやらお肉を食べて消化できる方もいるかもしれません。けれど消化力は人それぞれ異なります。

もし仮に、消化力が落ちている時やもともと消化力が高くない時にお肉など消化に時間のかかる食べ物を口にして、消化できずに体の中に溜めておけば、老廃物→毒素となって様々な不調につながる可能性も。

ですので、アーユルヴェーダではお肉を食べる食べない以前に、自分が消化できるものを食べものを選ぶことが重要となるわけです。それが、自然の一部であるわたしたちの心身にとっての優しさになるのではないでしょうか。

生き物は生命力溢れる生き物から命を分けてもらう

わたしが「大切にしたい」と思っているアーユルヴェーダの考え方に、「生き物である人間は生命力溢れる生き物から命を分けてもらう」というものがあります。その考え方をもう少し深く掘っていくと、食べ物が育った環境などが重要ということにたどりつきます。

例えば、大量生産のためにせまい檻の中でギューギューづめになった状態で育てられてた動物は、愛情が少ない環境下の上、想像しただけで動物たちのストレスレベルが高いことが分かります。それって活力溢れていることからかけ離れていますよね。

そういった環境下で育った食品をわたしたちの体の中に取り入れることはホルモンやら薬品やらの影響以前に、動物たちのストレスなども体の中に入れることにつながると言われています。

こういったことから、動物性の食品を摂る場合は、大量生産のためにホルモンやら薬品づけにされた安価なお肉ではなく、ファーマーからしっかりと愛情を注がれている動物(放し飼いやグラスフェッド、オーガニックなど)であることを重視してみてもいいのかもしれません。

自分に必要な分だけ食べる

ヨガにおいても、アーユルヴェーダおいても、重要な考え方が”中庸”です。

不貧(アパリグラハ)が揺るぎないものとなったとき、自らの生の原因と様態が余すところなく照らしだされる。

抜粋: ヨーガ・スートラ2章39節

私たちは常に周りからあらゆるものを分けてもらって生きています。二酸化炭素の量が多くなれば、バランスをとるために気温は上がりますし、多くのお肉を生産するための大規模農業のために森林を伐採すれば生態系はバランスをとろうとします。どれかが異常に多くなったり、少なくなったり、すればバランスが崩れるように見えて、実は自然は自分の身を破壊しながら、バランスをとろうとしているのではないでしょうか。新しい何かを生み出すために。 もし、今あるものを大切にしたいのであれば、必要以上に貪らない。そうすることで、持続可能になっていきます。

アーユルヴェーダで言われているように食事は「腹八分目」でいること、また動物から命を分けてもらうのであれば、控えめに自分の必要な分だけ分けてもらえば良いのではないかと思います。

答えは人それぞれ違う

たまたまわたしは人間に生まれてきて自然の流れでお肉を口にするようになりました。一度はお肉を口にすることをやめましたが、現在も週に何度かはお肉を食べています。

「人は肉を食べないでも生きていける生き物だ」と考える人もいたり、「自己流ベタジリアンは危険だ」と考える人もいたり(わたしは後者)、自然と地球に優しい食生活の実践というのは、答えは人それぞれなのだと思います。

わたしは今の段階では週に何度かお肉を口にする方が、体の調子は良いと感じているしこれからも無理にベジタリアンやヴィーガンになろうとは思っていません。

探そうと思えば必要以上に情報が錯乱する世の中です。わたしは「もしかしたら前世ではお肉を食べる種族の生き物だったのかも…?!」なんて考えることもありますが、自分の答えはおそらく自分の中で見つけることが一番迷いがないかもしれません。

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AUTHOR

桑子麻衣子

桑子麻衣子

1986年横浜生まれの物書き。2013年よりシンガポール在住。日本、シンガポールで教育業界営業職、人材紹介コンサルタント、ヨガインストラクター、アーユルヴェーダアドバイザーをする傍、自主運営でwebマガジンを立ち上げたのち物書きとして独立。趣味は、森林浴。



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